「論点:国の未来像、総参加で創造」(1999)

2009.10.29 Thursday 01:22
井庭 崇


次に紹介するのは、1999年2月9日の読売新聞朝刊の[論点]に書いた「国の未来像、総参加で創造」というもの。

これは、ここ数回のエントリで紹介した論文を踏まえて、寄稿したものだ。論文の内容と重なる部分もあるが、よりコンパクトにまとまっているので引用しておくことにしたい。

小渕政権の時代。なつかしい。



[論点] 国の未来像、総参加で創造

どのような社会を目指すのか――。目標となる未来像は国においても組織においても政策決定の重要な指針となる。その未来像は人々のばらばらな方向性を束ね、目標に近づくことを可能とする。元来、社会予測は自己実現的であり、皆がそれを信じて行動すると実際に予測されたことが実現するという性質をもっている。

例えば、多くの人が経済の高成長が続くと信じて行動すれば、投資や生産そして消費が活発化し、実際に高成長が実現する。逆に、先行きのイメージが暗ければ、社会を閉塞(へいそく)状況へと追いやることになる。

現在、日本は戦後の社会を支えた高度経済成長という目標をほぼ実現し、次なる目標を失っているようにみえる。確かに雇用不安、金融危機、少子・高齢化社会における労働力不足、年金制度の崩壊、様々な制度疲労、エネルギー資源枯渇、環境破壊など、未来に向けて解決すべき課題は明確である。しかし、個々の問題を解決した後の帰結は見えてきても、人々が共感し得る目標としての「日本のあるべき姿」は見えてこない。

今、日本に最も必要なことは、具体的な未来像をつくり共有することである。個々の社会的課題に対する政策はもちろん重要であるが、それらによってどのような社会が到来するのかという総合的な未来像がなければ、人々は「建設的な楽観主義」にはなれない。未来への積極的な姿勢や活力は、具体的で信じ得る未来像があってこそ生まれるからである。

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