生き生きとした学びの実現に向けて(アレグザンダーの文献から考える)

2012.08.27 Monday 14:22
井庭 崇


クリストファー・アレグザンダーが近代の建築の生産システムについて語っている批判を読むにつけ、それはそのまま近代の教育システムにも当てはまると感じる。つまり、これは一分野の問題なのではなく、近代の問題なのだろう。

ここに、『パタンランゲージによる住宅の建設』(C.アレグザンダー他著, 中埜博 監訳, 鹿島出版会, 1991, 原著1985)を読みながら考えたことを、(荒削りだが)覚え書きとして記しておくことにしよう。

建築と教育の問題の同型性を考えるために重要となる箇所について、『パタンランゲージによる住宅の建設』から引用しながら話を進めたい。

今日世界中にある住宅生産のシステムを考察してみると、そのほとんどに、人間社会に必要な二つの基本的な認識が欠落していることに気づきます。
[ひとつは、すべての家族、すべての人間は唯一無二であるという認識であり、人間の尊厳を表し守っていくにはこの独自性が表現されなくてはならないということです。もうひとつは、すべての家族、すべての人々は社会の一部分であり、他の人々と協力するという結びつき、つまり社会の中での他の人との信頼関係を保てる場が必要だという認識です。]
この二つの相補的な認識は、今日の住宅からはすっかり失われています。住宅は機械のように均質で判で押したようになり、様々な家族の個性を全く表現できていません。それは個性を抑圧し、家族にとっての素晴らしいもの、特別なものをすべて抑え込もうとしています。さらに、住宅は身近な地域コミュニティの基盤を人々に与えることにも失敗しています。(p.29)

これは、住宅の生産について語っている文章だが、この文章の「住宅」を「学び」に、「住宅生産」を「教育」と置き換え、「家族」と「人々」をともに「人々」=「学習者」と捉え、読み直してみてほしい。

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