生き生きとした学びの実現に向けて(アレグザンダーの文献から考える)

2012.08.27 Monday 14:22
井庭 崇


まったく分野の違う話ではあるが、問題の構造が似ていると言えないだろうか。

この部分だけでは、わかりにくいので、もう数カ所、取り上げよう。

現代社会の住宅生産システムはあまりにも中央集権化されています。(p.35)

もう少し具体的に言うと、現在の生産システムではほとんどの決定が全く「人間性を無視して」(at arm's length)なされていて、決定を下すのは結果とは無関係な人々だということです。建築家は全く面識のない人々に関する決定を下します。(p.37)

ここでも「住宅生産」を「教育」だと置き換えてみてほしい。
ちなみに、ここでいわれている「建築家」は、建設現場には来ない、設計図を書く人のことを指している。教育の場合には、現場の教師ではなく、教育方針を決める立場の人を指していると考えてもらうとよい。

これに加え、それなりの質のものを大量生産するために、標準化されたユニットを組み合わせるという方式が一般的であると指摘する。

今日の住宅生産の形態は、ほとんどが高度に繰り返し可能な「標準化された」住宅ユニットを用いるという考え方に依拠します。…これらすべての標準化は生産の「必要性」が生み出したことになっています。つまり、たくさんの量を低価格で生産するには、厳格な標準化が必要だと言うわけです。しかし、たとえ標準化が十分に進んだとしても、このプロセスは、決して多くはない数の住宅を非常に高い価格で、以前と同じように生産しているにすぎません。(p.117)


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