創造性(クリエイティビティ)の新しい捉え方

2013.02.16 Saturday 08:26
井庭 崇


僕の創造システム理論では、「創造」は「発見」(小さな発見、気づき)の連鎖だと捉える。

つまり、ある活動やプロセスが「創造的」(creative)であるというのは、「発見」が次々と生まれているかどうか、だと考えるのである。「発見」が途絶えてしまい、もう生み出されなくなってしまった活動・プロセスはもはや創造的と言うことはできない。

このとき、得られた発見の内容や、生み出した成果が、社会的に見て、新規性があったり、価値があるものか、ということは、ひとまず問わない。それは、創造の観点ではなく、社会的な観点だからである。

なぜそのように考えべきだと考えたかというのを、二つの話でしたいと思う。

ひとつめは、子どもが登場人物である。「積み木」で遊んでいた子が、しばらくしてその積み木でドラムのように音を出したとする。それに合わせて、誰かが歌を歌ったとしよう。この子たちは、創造的だろうか?

僕はその子たちは創造的だと捉える。世界中の保育園でしょっちゅう起きていることなので社会的にみれば新規性はないだろう。しかも、そこに何かの役にたつ付加価値があるわけでもない。それでも、積み木で音を出すことを発想したり、それを音楽だと思って歌を歌おうとしたことは創造的なことだと思うのだ。

もう一つは、孤島に住む研究者の話である。その研究者は数年間の研究の末、誰も解決できなかった理論的問題を解決した。それをもって学会に出向いたところ、同じような論文が1ヶ月前に発表されていたことを知る。彼の方が後の発表なので新規性はない。それでは、彼の研究は創造的ではなかったのだろうか?

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