Creative Reading:『遊ぶヴィゴツキー』(ロイス・ホルツマン)

2014.12.27 Saturday 22:23
井庭 崇



先ほどの言葉のあと、ホルツマンはさらに次のように締めくくっている。

この活動に携わることで、真実の発見がそもそも不可能であり、意味は集合的に創造されるものであり、自分たちが意味を創造する力をもつことを、深く理解するようになる。(p.63)


僕や井庭研メンバーが体験しているのは、まさにこのことで、「自分たちが意味を創造する力をもつこと」を実感しているのではないか。だから、あんなに(とても大変なのに)いきいきとしているのではないかと思う。

最後に、本書を通じて再認識した、二元論的思考を超えるということについて。

ヴィゴツキーは、いくつもの(二元論的)二分法を乗り越えようとした。生物学と文化、行動と意識、考えることと話すこと、学習と発達、個人と社会などの二分法である。彼はこの心理学のこの種の二元論的概念化を拒否し、それに強く対抗する議論を展開して、弁証法的方法論をとるように求めた。(p.4)


僕が惹かれる学者たちはみな、二元論を乗り越えようとしている。そういうことをみても、僕が二元論ではない道に関心があることは間違えない。でも、これだけ多くの学者たちが乗り越えようと試みたにも関わらず、世界がいまだに変わっていないのはいったいなぜなのだろう。まだ準備が不十分でこれから飛躍があるのだろうか。現実の根は深く変われないのであろうか。あるいは、そもそもそのような試み自体が意味のなことなのだろうか。疑問は尽きないが、少なくとも、僕は理論と実践を展開するなかで、少しでも前に進めたいと思っている。なんとかそれが実際に実を結ぶことをイメージしながら。僕が生きているうちに、変わった世界を見ることができるだろうか。できるといいな。

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