Creative Reading:『知的生産の技術』(梅棹忠夫)

2015.01.03 Saturday 23:45
井庭 崇



文章にするのは、実際問題、結構難しいのではないだろうか。それはどのように実践しているのだろうか。

「発見」には、一種特別の発見感覚がともなっているものである。・・・「発見」は、できることなら即刻その場で文章にしてしまう。もし、できない場合には、その文章の「みだし」だけでも、その場でかく。あとで時間をみつけて、その内容を肉づけして、文章を完成する。みだしだけかいて、何日もおいておくと、「発見」は色あせて、しおれてしまうものである。「発見」には、いつでも多少とも感動がともなっているものだ。その感動がさめやらぬうちに、文章にしてしまわなければ、永久にかけなくなってしまうものである。(p29)


まず「発見」に特化するというのは、とてもよい。持ち歩いているノートには、僕はいつもいろんなもの(発見も含む)を書いているので、ここは違った点。あと、文章ではなく、フレーズや図などでかなり適当なメモを取っていた。実際に今後、僕がノートに文章で書くのかは別として、こういう実践をしていたのだ、ということが興味深い。

「発見の手帳」をたゆまずつづけたことは、観察を正確にし、思考を精密にするうえに、ひじょうによい訓練法であったと、あたしはおもっている。(p.27)


このことは、いまでいうならば、文章でなくても、スケッチでも図示でもよいだろう。とにかく、発見を自分なりの表現で書いていくということである。そして、ここから、ノートではなくカードに書くということに発展した、という話が出てくる。

じっさいをいうと、わたしはいまでは、ここにしるしたとおりの形の「発見の手帳」は、もうつかっていない。いまでは、その機能をカードで代行させているからである。「発見の手帳」における一ページ一項目の原則とか、索引つくりによる整理などの方法が、そのまま進展してカード・システムにつながったのである。(p.32)


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