Creative Reading:『知的生産の技術』(梅棹忠夫)

2015.01.03 Saturday 23:45
井庭 崇



道具はしょせん道具である。道具はつかうものであって、道具につかわれてはつまらない。道具をつかいこなすためには、その道具の構造や性能をよくわきまえて、ちょうど適合する場面でそれをつかわなければならない。どんな場面でもそれをつかえる万能の道具というものはない。また、道具というものは、つかいかたに習熟しなければ効果がない。道具の形をみただけで、ばかにすることもないのである。おそろしく簡素な形の道具でも、つかいなれればまことに役にたつ。(p.62)


これは、道具としてのパターン・ランゲージにも言えるだろう。パターン・ランゲージはしょせん道具である。パターン・ランゲージはつかうものであって、パターン・ランゲージにつかわれてはつまらない、と。そして、そのためには、パターン・ランゲージをどのように使えばよいのかを習熟する必要がある。そして、実は、ここにまた熟達の領域があるのであり、パターン・ランゲージを使いこなすためのパターン・ランゲージというものが再帰的に登場することになる。

本書『知的生産の技術』には、冒頭に以下のようなくだりがある。

学校では、ものごとをおしえすぎるといった。それとまったく矛盾するようだが、いっぽうでは、学校というものは、ひどく「おしえおしみ」をするところでもある。ある点では、ほんとうにおしえてもらいたいことを、ちっともおしえてくれないのである。どういうことをおしえすぎて、どういう点をおしえおしみするか。かんたんにいえば、知識はおしえるけれど、知識の獲得のしかたは、あまりおしえてくれないのである。(p.2)


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