Creative Reading:『物書きのたしなみ』(吉行淳之介)

2015.01.05 Monday 22:05
井庭 崇


年末に読んだ本のなかに、『物書きのたしなみ』(吉行淳之介, 実業之日本社, 2014, 原著1988)がある。

その本に収録されている「私の文章修業」というエッセイに、次のような文章が登場する。

言うまでもないことだろうが、文章というものはそれだけが宙に浮いて存在しているわけではなく、内容があっての文章である。地面の下に根があって、茎が出て、それから花が咲くようなものである。その花を文章にたとえれば、根と茎の問題が片付かなくては、花は存在できないわけである。
 そこが厄介なところで、おまけに一つの作品ができ上ると、いったんすべてが取り払われて、地面だけになってしまい、またゼロからはじめなくてはならない。その上、その土地の養分はすべて前に咲いた花が使い切ってしまっているので、まず肥料の工夫からはじまる(土壌と根と茎が十分なかたちで揃えば、おのずから立派な花が咲くとおもっていいのだが、やはりその花の様相を整えることが必要である。ここではじめていわゆる「文章」が独立した問題として出てくる。・・・下部構造がしっかりさえしていれば、花の整え方はその人の個性に属することで、かなり歪んだ花のかたちでもその人にとってはそれでいいわけである)。(p.36)


何かをつくるということを、植物をメタファーとして捉えるということは、しばしばある。それでも、この文章に僕が惹かれたのは、まさに最近、庭でいろいろな植物を育てているからだろう。ひとつ作品ができあがると、すべてが取り払われて養分のない地面だけになるという感覚は、作品をつくる(本や論文を書く)という経験にも、植物を育てる経験にも完全に当てはまる。

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