パターン・ランゲージを編み上げることは、小説を書くことに似ている。

2015.01.11 Sunday 22:37
井庭 崇



この段階で、それまでのものから一気にクオリティが上がる。単にパターンの集まりであることを超え、ひとつのランゲージとして世界観をもつものになる。井庭研メンバーはそれを「先生が魔法をかけた」という言い方で表現をしている。たしかに、僕の感覚としても、ひとつひとつのパターンに命を吹き込んでいくという感じなので、「魔法」という表現はまんざら間違った表現ではないと思う。


さて、パターン・ランゲージを編み上げることと、小説を書くことはどう似ているのか。

パターン・ランゲージには小説の主人公のような登場人物はいないし、話の展開もない。パターンごとに区切られた秘訣の記述が集まったものだ。それがどう小説を書くことに似ているのだろうか。

まず最初に断っておきたいのは、「パターン・ランゲージが小説に似ている」と言っているのではない、ということだ。パターン・ランゲージと小説はまったく異なる表現である。パターン・ランゲージは小説ではないし、小説はパターン・ランゲージではない。そうではなく、「パターン・ランゲージを編み上げる」ということが「小説を書く」ということに似ていると言っているのである。

[7] << [9] >>
-
-


<< Creative Reading:『ナチュラル・ナビゲーション』(T・グーリー)
Creative Reading:『小説の自由』(保坂 和志) >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.20R]