Creative Reading:『小説の自由』(保坂 和志)

2015.01.17 Saturday 00:03
井庭 崇



全体を読み終わってから書くのが筋だと思われるかもしれないが、読み終わると遠のいてしまう高揚感が小説にはある。
小説でも哲学書でも、それを楽しんだり理解したりするために、読んでいるあいだにいろいろなことを自然と思い出したり強引に思い出したりしているもので、読み終わるとそれの何分の一かしか残っていない。(p.109)

こういうことがパターン・ランゲージを読むときにもある。ただし、小説と違うのは、パターン・ランゲージにはパターン名というインデックスが残る。読んだときに一度通過した部分部分を、パターン名というインデックスで思い出すことができる。パターン名の重要性は、この点にあるといえる。

パターン・ランゲージ全体のなかに個々のパターンがある。そして、それに名前がついている。これは決して、逆ではない。つまり、バラバラのパターンが集まってパターン・ランゲージになるのではない。それではバラバラなものが寄せ集められたにすぎないのであって、全体性を生むことはない。パターン・ランゲージ全体が、パターンをもつのである。この点はとても重要である。

パターン・ランゲージをつくっているとき、個々のパターンを書いていた段階から、あるとき、視点を変えて、(未だ見ぬ)パターン・ランゲージ全体からの視点に切り替えて、それに合うように個々のパターンを書き換えたり並べ替えたりするときが来る。これが僕が仕上げるとき「魔法がかかる」といわれる作業で起きている視点の変化である。部分を見ていた段階から、全体をみて、それに合うように部分を用意する、という視点の切り替えである。これができないと、パターンはバラバラのままで編み上げたようにはならず、寄せ集めにしかならないのである。

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