2015.01.17 Saturday 00:03
井庭 崇
たとえば小説と小説家の関係は、羊の群れと牧羊犬のようなものだ。何十頭かの羊たちが気ままに草を食べながら移動しているその群れを、評論家は能力が高い牧羊犬がきちんと誘導しているように読むのだが、小説家自身は出来の悪い牧羊犬でいたいと思っている。(p.190)
小説家の能力を優秀な牧羊犬のように群れを制御する能力と思っているかぎり、小説の外枠しかわからない。羊の群れを制御=抑制する能力で小説が書けるのなら、小説家は一日一〇枚、一年で三〇〇〇枚は書ける。羊の群れの気ままな移動に身を任せようとするからこそ、小説家は一年で一〇〇〇枚が書けない。(p.193)
小説家が小説を書くときに確かなものがあるとしたらそれは何を指すのか。それは、事前の構想にしたがって羊の群れを制御=抑制することではなくて、羊の群れの気ままな動きに身を任せることなのだ。それは【一見】最も不確かなやり方に思われるが、小説家と小説の関係ではそれが最も確かなやり方となる。(p.207)
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