Creative Reading:『小説の自由』(保坂 和志)

2015.01.17 Saturday 00:03
井庭 崇


これと同じことは、村上春樹やスティーヴン・キング、宮崎駿など、多くの作家が同様のことを言っている。自分の作為で物語が進むのではなく、物語が自ら展開しようとする、それを私は追っているだけだ、と。はたしてそれは、どういうことなのだろうか。本書は、そのあたりについて重要な指摘がなされている、本書のタイトルにもなっている「小説の自由」、つまり、小説を書くときにおける「自由」とはどういうことか、という話である。

羊の群れに任せて書いて、うまくいかないと思ったら破り捨てて書き直せばいいのだ。小説は人前でするコンサートではないのだから、何度でも書き直してうまくいったテイクだけを残していけばいい。
ここで「うまくいく」というのは、登場人物たちがそれぞれの個性をじゅうぶんに発揮することであり、その情景にある風景や物などの要素が小説の流れを事前の青写真をこえて引っぱっていくことだ。小説がうまくいかないのは、登場人物たちが勝手なことをやったり言ったりするからではなく、お行儀よく作者の青写真の範囲内で振る舞ってしまうからだ。
作者に必要なことは登場人物たちが勝手に振る舞える場を与えることなのだ。それは大変なことだからしょっちゅう失敗する。しかし失敗したら書き直せばいい。小説を書くことは工場労働と違うのだから、時間も労力もいくら無駄にしても誰からも文句は言われない。(p.209)


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