Creative Reading:『小説の自由』(保坂 和志)

2015.01.17 Saturday 00:03
井庭 崇


それに対して書くことは転換はあまり期待できないが、論を短時間に進めることができる。頭の中で訪れるインスピレーションが、「頭の中」といいつつ、風が窓を叩く音など、案外、ちょっとした外からの刺激が必要なのに対して、書いて考えるときには外からの刺激なしに進めていくことができる。断片だった考えや、書かなければ頭をよぎっただけでそれが熟すのはまだしばらく先になったようなことが、書くことで集められ、留め置かれて、それらが先に進められる。(p.362)

保坂さんのかっこいい表現でいうならば、「書くことは前に進むこと」(p.375)なのである。

文字を使って確認するように書いていくことで、自然と先が用意されたり、確認のつもりで書いていることが・・・すでに先のこと、一種の答えのようなものだったりする。書くというのはそういうことだ。あたり前のように感じる人が多いかもしれないが、これは書くことの大変な特性で、小説と哲学はこの特性によって小説が小説たりえ、哲学が哲学たりえることになる。小説も哲学も、数学の計算のように最後の答えだけが問題なわけではなくて、答えようとする道筋、もっと言ってしまえば、世界に対する不可解さを問いの形にまでするところにしかその仕事はない。不可解さが、整った問いの形をとることができたとしたら、たぶんもうあんまり答える必要はないのだ。(p.362-263)


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