Creative Reading:『小説の自由』(保坂 和志)

2015.01.17 Saturday 00:03
井庭 崇


僕がパターン・ランゲージをつくるときにも同じようなことを考える。僕らがつくった学びのパターン・ランゲージ「ラーニング・パターン」は、つくることによる学びである「Creative Learning」という視点を生んだし、プレゼンテーション・パターンは、「プレゼンテーションは伝達ではなく創造である」という「Creative Presentation」という捉え方を生んだ。認知症のパターン・ランゲージは、認知症になった後の生活を「新しい旅」だと捉えよう、という視点を生み出した。

これらは、始めからそう考えてつくっていったわけではなく、パターンを書き、パターン・ランゲージを編み上げていく段階で見えてきたものである。つくるなかで生まれたのである。こういう質的転換が起きたパターン・ランゲージは、やはり、僕からするとよいパターン・ランゲージであると感じる。

小説が外から持ち込むのは、意味や問いではなくて、風景や音や人物の口調や動作の方法だ。(p.394)

まさに、個々のパターンにおける解決やアクションは、インタビューや自分たちの経験から得たものたちで、いわば「外から」持ち込まれる。しかし、それらのパターンが集まって、パターン・ランゲージ全体としてどのような質を生むのか、ということは、外から持ち込まれるのではない(強引に持ち込むことができないわけではないが、それをやると全体の”生命”を殺してしまい、記号にはなっても質にはならない)。

小説、音楽、絵画、彫刻、写真、芝居、映画……これらすべての表現形態は、手段として、文字とか音とか色とか線とか具体的なものしか使えないのだけれど、それを作る側にも受けとめる側にも具体性をこえたものが開かれ、それが開かれなければ何も生まれない。

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