Creative Reading:『小説の誕生』(保坂 和志)

2015.01.17 Saturday 18:06
井庭 崇



いま引用した部分の書き方を踏襲するならば、「事後報告としてのパターン」は、読んでいて、過去にあったことを文字として読んでいるに過ぎない。しかし、パターンを読んだときに自分のことであると感じさせたり、今もしくはこれから起きると感じさせる(思わせるのというよりも感じさせる)ことができるかどうかが、パターンの文章の命である。この違いを意識しているか、それを書き分けることができるのかが、パターンを仕上げたときのクオリティに大きく違いを生む。

だからこそ、パターン・ランゲージを読むということは、ある面では小説や哲学を読むということに近いのである。

哲学とは結論を読むものではなくて思考のプロセスを読むものだ。結論というのはプロセスそのものの中にあるとしか言えない。小説になるともっとプロセスしかない。音楽を聞くときに「結論は何か?」と考えないのと同じようなものだとでも言えばいいだろうか。音楽でも絵でもそれをいいと思っている人は言葉を必要としていない。音楽や絵の前で言葉を必要とする人はそれをどう受容していいかわからない人たちだ。(p.61)

音楽を聴くときに「結論は何か?」を考えない、というたとえは実にわかりやすい。パターン・ランゲージもそれを「感じる」ときには、小説や哲学を読み、音楽を聴くようなことに近い。そうやって読むことで、パターン・ランゲージが生成しようとする世界を感じて味わうことができる。(パターン・ランゲージは、その上で、後から個々のパターンを実践に活かすことができるような形態でまとめられている。)

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