Creative Reading:『小説の誕生』(保坂 和志)

2015.01.17 Saturday 18:06
井庭 崇



それぞれの小説は、世界を立ち上げるという意味で、ひとつのまとまりをもった(閉じている)ものであるが、他方で、現実世界に対して「開かれている」。

小説は現実の世界に対して閉じてはいけない。それは考えることを放棄して【ただ作品を書く】ことでしかない。世界がどういうものであるかを考えるための方法や道具を作り出すのが小説で、世界とは自分の働きかけに応えてくれないものであるという前提で生き、それでも世界に働きつづけるにはどうしたらいいのかを考えるために小説がある、というのが私の小説観だ。(p.40)

フィクションのリアリティとは、現実でそれが説明されることでなく、それが現実を説明する原型になることだ。
現実の中にそれを置いてみて、どんなに荒唐無稽に見えることであっても、フィクションの中で読者の気持ちを掻き立てられればそれは何らかのリアリティを持っているはずで、そのリアリティが現実をそれまでと違った風に見えるようにする。(p.481)

つまり、小説は現実世界とは関係のない架空の世界の話として終わるわけではなく、それが現実世界の見方をも変容させていく。小説家が小説を書きながら自分自身が変わっていくように、読者もまた、小説を読みながら変わっていくのである。

文学というのはどれだけ絶望的な状況を書いても、この世界を肯定しようとしていなければならない、というのが私の文学観だ。息苦しい状況をひたすら息苦しく書いたり、悲惨なことをただ悲惨に書いたりするのは、文学を文学たらしめる何かが欠けている。私は「世界はいいものだ」「人間は素晴らしい」と書かなければいけないと言っているのではない。・・・『音の静寂 静寂の音』で高橋悠治が書いている、

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