Creative Reading:『レイモンド・カーヴァー:作家としての人生』

2015.01.19 Monday 11:00
井庭 崇


レイモンド・カーヴァーの「生きざま」(あまり好きではない言葉だが、ここにはたぶん相応しい)には、小説家であるというのが本質的にどういうことなのかが、きわめて率直に示唆されていると僕には思える。それは、「何かを書き続けるというのは、自分から何かを削り取り続けるということなのだ」という事実である。僕らはその削り取られたぶんを、どこかからもってきた何かで必死に埋めていかなければならない。(p.736)

ここで語られていることは、僕には、村上春樹自身のことにも重なって見える。ただしひとつ違うのは、カーヴァーは様々なものに依存することでそれを埋めようとしたが、村上はそれを自分なりの方法で心身を鍛え、書き続けようとしているということではないだろうか。村上春樹が日々走り、心身を鍛えながら、創作と重ねて行くのは、まさにそのためだろう。僕も自分なりのスタイルを確立していきたい。それがあっとうい間に擦り減ってしまわずに、つくり続けるために必要なことなのだ。

そして、人生というものは死との関係のなかで考えられなければならない。人の生は誰でも限られており、作家も同様に、つくり続ける人生にも終わりが来る。レイモンド・カーヴァーが亡くなったのは、五十歳のときだった。そのとき、四十歳を目前にしていた村上は次のように感じたという。

彼をこうして失ったことは本当に残念な、悲しい出来事ではあるけれど、五十歳まで生きて、これだけ多くの価値ある作品を書き上げ、それをあとに残して静かに世を去るというのは、ひとつの素晴らしい達成であり、美しい人生のあり方かもしれない、と。そのときの僕には―――実に愚かしいことだが―――五十歳というのはずっと先の方に控えている人生の立派な節目のように思えたのだ。(p.726)


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