Creative Reading:『レイモンド・カーヴァー:作家としての人生』

2015.01.19 Monday 11:00
井庭 崇


しかし、実際に自分が五十歳になったときに、そのように考えたことを反省したという。

僕自身のことを語らせていただければ、五十歳を迎えた時点では僕は小説家として、自分が書きたいことの―――あるいは書けるはずだと感じていることの―――まだ半分も書いていなかった。「もしこんなところで自分が病を得て、死ななくてはならないのだとしたら、悔しくてたまらないだろうな」とつくづく思った。文字通り死んでも死にきれない気持ちだ。
 僕は五十歳というポイントを越えてから、長編小説だけに限っても『海辺のカフカ』を書き、『1Q84』を書き、『色彩を持たない多?つくると、彼の巡礼の年』を書いた。その他にもいくつかの短編小説集と中編小説を書いた。もし作品目録からそれらの作品群がまとめて削除されるとしたら、それは(他の人がどのように考えるかはもちろんわからないが)僕としてはとても耐えがたいことだ。それらの作品は今では僕という人間の、欠くことのできない血肉の一部になっているのだから。一人の作家が死ぬというのは、ひとつの命のみならず、来るべき作品目録を抱えたままこの世から消えて行くことを意味するのだ。(p.727)

いま四十歳という位置にいる僕にとって、この村上春樹の言葉から得られるものは大きい。

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