Creative Reading:『レイモンド・カーヴァー:作家としての人生』

2015.01.19 Monday 11:00
井庭 崇



カーヴァーの小説を真似して書くことはできるけど、彼と同じところで生まれ育って、彼の身近な人たちの話をずっと聞いていたのでなければ、本当の意味でカーヴァーのような小説を書くことはできない。彼がかかわり、一緒に暮らしている人々はみんな、ある意味では彼の小説への参加者だった。メアリアンはものすごく大量の題材を彼とともにくぐり抜けてきたんだと思う。そして彼女とレイは、それらの小説のための代価として、彼らの人生そのものを支払ったのだろうと僕は思う (p.294)

この言葉は、僕にとって非常に発見的だった。「彼がかかわり、一緒に暮らしている人々はみんな、ある意味では彼の小説への参加者だった」という部分と、「それらの小説のための代価として、彼らの人生そのものを支払った」という部分が、である。普通とは異なる見方であるが、それは真実であると思った。そして、僕も同じように、僕のつくり出すもののために、僕とかかわりのある人たちは「参加」し、僕らはその「人生」を対価として差し出している。対価として支払う度合いの違いこそあれ、人はそうやってつくっている。そうやって生きている。

この視点の転換は、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読んだときと同じような衝撃があった。ドーキンスは、生物が遺伝子をもっているのではなく、遺伝子が生物をヴィークルとして自らが残るようにさせているのだ、という視点の転換をもたらした。もちろん遺伝子が意思や知能を持っているという意味ではなく、物事の主と従の関係は、僕らが当たり前と思っているほど単純には決められないのだ、という話だ。

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