Creative Reading:『レイモンド・カーヴァー:作家としての人生』

2015.01.19 Monday 11:00
井庭 崇


ここで書かれている「酒飲み、禁酒家、女たらし、とろいやつ」というのは、レイ自身が一度はなったことがあった。重要なのは、このあとに続く「雷に打たれる人」についての部分である。カーヴァーは言う。

だがそれは、一生懸命に努力して、書くという行為が人生のほとんどすべてのものより重要で、呼吸をすること、衣食住、愛と神に並ぶほど大事だと思っている人にしか起こらないことだ(p.653)

その通りだと思う。この指摘は真実を射抜いている。常にそれに取り組み、考え、悩み、もがいている人にしか雷は落ちないのである。

まえがきの結びにカーヴァーは、ここにあるのは、「短編小説にしかできないやり方で、かたちを与えられ、目に見えるようになった美にほかならない」ことを読者が発見するように願っている、と書いた。(p.654)

「○○にしかできないやり方で、かたちを与えられ、目に見えるようになった美」!なんてかっこいい考え・言い方だろうか。僕もそういうものを自分の分野でつくりたい、そう思った。


最後に本書の最後に寄せられている村上春樹の「解説――身を粉にして小説を書くこと」のなかの言葉を少し取り上げたい。

カーヴァーはいわば「自分の身を粉にして」小説を書いた人だ。その挽き臼にかけるマテリアルのひとつひとつを、彼は自分の身の内からもぎとっていった。そこにはもちろん痛みがあった。時にはまわりの人々を痛めつけることもあったが、その痛みはだいたいにおいて彼自身に戻ってきた。彼にとって生きるということはそのまま小説を書くことであり、小説を書くというのはそのまま人生を生きることだった。(p.735)


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