アンリ・ベルクソン『笑い』から考えるパターン・ランゲージのつくり込み

2017.02.06 Monday 22:10
井庭 崇


アンリ・ベルクソンの『笑い』を読んで、メインテーマの「笑い」や「可笑しさ」についてではない箇所で、とてもきになる箇所があった。

僕がパターン・ランゲージをつくり込むということや作家性ということで語っていることに関係することを、言葉にしてくれているところがあった。

正劇の芸術が他の芸術と同様の目的を持つと述べているところで、ベルクソンはこのようなことを書いている。

「この芸術は【個人的なもの】をつねに目指すと言える。画家がキャンバスに定着させるのは、ある場所である日のある時間に、二度と眼にすることがきない色彩と共に彼が見たものである。詩人が詠うのは、彼自身の、彼自身だけの心理状態であり、それは二度と現れない。劇作家がわれわれの眼前に描き出すのは、ひとつの魂の展開であり、感情と出来事によって編まれた生き生きとした連なりであり、つまり一度出現すれば二度と起こりえないものだ。この感情に一般的名称を与えても無駄だろう。なぜなら、別の魂においてはこれらの感情はもはや同じではないからだ。それらは【個人化されたもの】なのである。何よりもそれによって、これらの感情は芸術に属する。というのも、一般性、象徴、類型そのものは、こう言ってよければ、われわれの日常的知覚の通貨であるからだ。一体どこからこの点についての誤解が生じるのだろうか。
非常に異なった二つのもの、すなわち、対象の一般性と、われわれが対象について下す判断の一般性とを混同したというのがその理由である。ある感情が一般的に真実だからといって、それが一般的感情であるわけではない。」(p.149-150)


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