2017.02.06 Monday 22:10
井庭 崇
「諸芸術はどれも特異だが、もし天才の刻印を担っていれば、最後には万人に受容されるだろう。なぜ人はそれを受け入れるのか。もしその分野において唯一のものであれば、いかなる徴しによってその芸術作品は真実だと認知されるのか。私が思うに、われわれがそれを真実だと認知するのは、真摯に物を見るよう芸術作品がわれわれに促すわれわれ自身に向けての努力によってである。この真摯さは伝達可能である。芸術家が見たものについては、われわれはそれをおそらく二度と見ることができない。少なくともまったく同様に見ることができない。けれども、芸術家が本気でそれを見たなら、ヴェールを取り去るために彼が傾けた努力は、模倣するようわれわれを急き立てる。彼の作品はひとつの模範であり、教えとして役立つ。この教えの効力に即してまさに作品の真理は評価される。だから、この真理は自身のうちに説得の力を、回心させる力そのものを含んでおり、それが真理を認知させる刻印となる。作品が偉大であればあるほど、そこに垣間見られる真理が深淵であればあるほど、作品の効果はより遅く現れるかもしれないが、それはまたより普遍的になるだろう。それゆえ、普遍性はここでは生じた効果のなかにあり、原因のなかにはない。」(p.150-151)
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