「創造性資源の枯渇」の時代から「ナチュラル・クリエイティビティ」へ

2017.02.09 Thursday 00:38
井庭 崇



石油資源を輸入していたように、多くの人が海外から創造的人材の輸入に熱心である。自分のところに資源がないからと、よそから買うしかないという感覚である。これでは、石油資源の限界が成長の限界を定めたように、創造人的材の限界が成長の限界であると予言される日は近いだろう。

昨年くらいから流行的な話題となっている人工知能(AI: Artificial Intelligence)は、今後研究開発が加速し、人間を超えるレベルに到達するシンギュラリティの段階の恐怖が、よく聞かれるようになった。それは、アーティフィシャルな(人工的な)創造性といえる。その段階での人工知能は、エネルギーでいうと原子力発電にあたる技術であると言える。人間や社会にとって便利で効率的である一方、人類を滅ぼすほどの強烈なパワーをもった危ういものでもあり、私たちの社会・組織はそれをきちんとコントロール・管理できるのかというと、実に怪しいという意味においてである(AIは原発のようなものであるということは、テスラのイーロン・マスクも同様の発言をしているようである)。

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