SFCの履修選抜問題と、「実践を伴う授業先取り選抜課題」という方法

2018.03.28 Wednesday 21:07
井庭 崇


SFCでは、学年進行による科目履修制限がない。つまり、1年生から4年生まで好きなタイミングで取りたい科目を履修できる仕組みになっている。そんな仕組みは、他の大学・学部ではまずありえないし、自由度が高くて僕はよいと思っている。

しかし、そのため、取りたい科目の希望者が多ければ、履修選抜に勝ち残らなければならない。僕の授業はどれも(しっかり取り組むことを学生の間でも知られていることもあり)熾烈な履修選抜の状態にはない。思うに、履修選抜で学生の不満がたまっているのは、楽単科目についてではないかと思う。もちろん、なかには楽ではないが魅力的で人気の授業もある。そういうのは昔からあり、まあ、一定人数(それでも100人とか200人とか)しか取れないのは、仕方ない。それは最近始まったことではなく、以前からあることである。

抽選による選抜なんかは、よくない仕組みだと思うが、履修者500人の枠にたくさん来たら、現実的には、履修選抜課題を読むのも大変すぎて、現実的ではない。そんなこともあり、僕はそういう大人数すぎる科目はやめた方がいいと思っている。

それとは別の話として、学生の間で不満があるのは、履修選抜で通った人にも実際には履修しない人がいるということである。選抜で落ちる科目があるかもしれないリスクがあるので、多めに選抜課題を出すのは、ある意味合理的な判断だ。そこを責めるのは酷である。しかし、その結果、取りたいのに履修選抜で落ちた人がいる一方で、選抜に通ったのに実際には履修しないという人が出てしまう。

そういうことになれば、当然文句も言いたくなる。これは、僕は、履修選抜の仕方の問題だと思う。だいたい、慶応SFCの学生となれば、履修志望理由なんて、本心では思っていなくても、それなりに説得力のあるものを書いてくる。だから、履修選抜に、志望理由を書かせても、だいたいみんなよいという評価になる。そういうのは、よい履修選抜だとは言えないだろう。

[9] >>
-
-


<< 「名づけ得ぬ質」と「巡回」と沈黙:『仏教が好き!』を読んで
仏教へのプラグマティックな関心と「創造におけるマインドフルネス」 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.20R]