アレグザンダー、ヴィトゲンシュタイン、ハイデガー:『仏教が好き!』を読んで

2018.03.31 Saturday 10:18
井庭 崇


河合 隼雄さんと中沢 新一さんの『仏教が好き!』、いまの僕には、めちゃくちゃ面白かった。?宗教を俯瞰してみたときに、仏教的な思考がこれからの世界にとって重要となるということがわかったし、自分がこれまで何をやってきて、これから何をやるべきなのかということを考えることができて、とても勉強になった。なかでも最も「おおおおー!」となったのが、以下の部分。

「ブッダが『空』と言っていることは言語化不能であるというのが原則なんですね。密教だけではなくて、『般若経』でも、『言説不能、言葉で言うことは不能、だけどこれは確実に、肯定的に、ある』と言われます。」(中沢, p.185)

「ユングがよく使う言葉がありまして、英語で circum ambulation、『巡回』という意味です。僕の好きな言葉なのですが、結局、中心には入れないということなんですよ。われわれはまわりをめぐるだけ。まわりを何度も何度もめぐることによって、いわば中心に思いをいたすなり、中心を感じ取るなりということはできるけれども、中心に入ることはできない。僕もそのように思っているわけです。」(河合, p.186)

「すべて比喩で回転しつづけているけれども、その中心部には言葉の能力をもっては踏み込めない部分があるということなんでしょうね。」(中沢, p.187)

「おそらくぐるぐる回っているうちに体験としてはある、ということなんでしょう。」(河合, p.187)


これはまさに、アレグザンダーが目指した質が言語化不可能であるとして「名づけ得ぬ質」と呼んだことに通じるし、僕らがパターン・ランゲージをつくり実践知に対して言語を当てることは、「実践知を記述する」ことではなく、あくまでも、直接は表現できない実践知を指し示す言葉をもつことで意識して実践することができるきっかけをつくり、「巡回」するためである、という僕の感覚に通じる。

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[Serene Bach 2.20R]