東洋からの貢献、空、ナチュラル・ウィズダム:『ブッダの夢』を読んで

2018.03.31 Saturday 10:30
井庭 崇



この本のなかでは中沢さんが仏教にはまる経緯について語られている部分があるのだが、そこで、二元論に対する第三の道というか、能動と受動の間の「中動」のような、中間に関する話が出てきた。

「あるとき、たまたま読んだ本に禅の悟りについて書いてあった。そこには禅というのは、悟りは自力だ自力だと言うけど、自力じゃないんだとある。禅の悟りというのは、卵の中に雛がいるようなもので、雛が、もう孵化しようかというときに、中から黄色い嘴【くちばし】で、卵をツンツンツンツンとやるんです。そうすると、その気配を察知した親鳥が、上からツンツンって硬い嘴でつついてくれる。その二つのリズムが合体したとき、すっと割れるんだ、悟りというのもそういうもんなんだ、ということを言っておりますね。それを読んで、自力と他力には、ちょうど中間点があるんだなというのを感じたんです。そこで自分の求めているのはこういう、中間なんだと思いました。」(中沢, p.22)

「僕が決定的に仏教に転向したのは、構造主義がきっかけになっています。レヴィ=ストロースやラカンを読んで、自分が仏教徒であることを自覚しました。・・・ただ、キリスト教の自力と浄土真宗が教えている他力思想のちょうどうまい中間点があるかもしれない。それはどこにあるのだろうという探究が始まったのが二十代の後半くらいで、それから僕は、本格的にチベット人のところに行き出したんです。」(中沢, p.23)

僕が探究しているのも、まさにこの中動の領域である。中沢新一さんは、こういうことにずいぶん早くから気づき、取り組んでいたんだなぁ、と、やはりもっと本を読んでみたいと思った。そして、いずれ、僕の方も考えがまとまったら、ぜひ一度お話ししてみたいものだ。

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