東洋からの貢献、空、ナチュラル・ウィズダム:『ブッダの夢』を読んで

2018.03.31 Saturday 10:30
井庭 崇



なお、この流れで、河合隼雄さんも、中動の話をしている。

「中間点という言い方をすると、僕の場合の中間点は、治すと治るの中間点ですね。」(河合, p.24)

僕が無我の創造で論じていることにも通じるし、「支援する」と「する」の間になるパターン・ランゲージによる支援にも通じる話である。やはり、中動態は熱い。

他にも、「名づけ得ぬ質」とパターン・ランゲージの関係に重なるような内容も語られていた。次の文は、河合さんの発言と、それを受けての中沢さんの反応である。

「僕がいま考えているのは、・・・たとえば僕がこのコップのことを言いたいんだったら、このコップを言葉で記述するのではなくて、僕の言葉に乗った人は、その調子で行けばコップに当たるとか、そういう言葉の使い方がありはしないかと考えて入るわけです。つまり、そのことを直接には表現できないので、この線を無限にたどればそこに行きつくというような、方向と運動を与えるような言葉の使い方はできないだろうか。そういう言語の使用法というのはまったく違いますね。精神分析における言葉と。」(河合, p.40)

「先生は今、ほのとに唯識【ゆいしき】の思想に近づいている……。心の分析の究極に、たんなる「無」じゃなくて、「充実した空【くう】」を出現させようってわけですから」(中沢, p.46)


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