東洋からの貢献、空、ナチュラル・ウィズダム:『ブッダの夢』を読んで

2018.03.31 Saturday 10:30
井庭 崇



河合さんができないかと言っている言語の使用法こそ、パターン・ランゲージが目指しているものではないかと思う。つまり、「名づけ得ぬ質」そのものは言語化できないが、それへと至るパターンを言語化するという発想である。それにしても「名づけ得ぬ質」を「充実した空【くう】」と捉えるのは、とても魅力的である。

マレー・ゲルマンの『クォークとジャガー』の本が取り上げられ、複雑系の話になる。複雑系科学出身の僕としては、胸熱な話である。そこから西田哲学の話に行き、宗教の話になる。この組み合わせも抜群に魅力的だ。

「散文は複雑系を追求し、科学が単純系を追求し、単純と複雑の結合を詩が描く。そして、西田哲学はどこにあるかというと、この詩というものの延長になると思います。あるいは詩の直前にあるかもしれません。これは概念という単純系によって複雑系の世界の本質を描き切ろうとするわけですね。だから「絶対矛盾の自己同一」とかいろんな言い方をする。・・・宗教というのは、その先にあるものだと思いますね。宗教というのは、複雑系の底の底まで行った時、それがきわめて単純なものであることを見出して、同時に科学を探究していった時に、それはもっとも複雑なものを生み出し得ることを同時に捉える視点です。だから、詩的な思考法と宗教の思考法は、同じ方向性を向いている。・・・たぶん宗教と科学は、この意味で言うと、対立などはしないんじゃないか。新しい科学の形として、詩的言語の方向へ向かい、ヴィトゲンシュタインが言ったように、あるいはアインシュタインが考えたように、科学は芸術に近づいていきます。単純系と複雑系をひとつのところへ絶対矛盾の自己同一化させてしまうようなものはつくり得る。」(中沢, p.76-77)


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