ピュシスとロゴスのあいだ:「生」への道の言葉をつくるパターン・ランゲージ

2018.03.31 Saturday 10:50
井庭 崇


 ヘラクレイトスによれば、ピュシス(自然)は「隠れることを好む」とされ、常に隠されている存在なのですが、ロゴスの立場というのは、自然は完全に人間の理性の中で暴かれていて、その隠れなさゆえにすべてが理解し尽くせると考える立場です。人間の理性【ヌース】にとって矛盾して相反するものは、見ることも理解することもできないものであるから問題にする必要がないとして、ヘラクレイトスなどのピュシス的な立場から、人間の理性に合致するもの、隠れなく「見えているもの」の原型・模範のみを探求するロゴスの立場へと哲学が転換するのが、ソクラテス、プラトンの時代です。
 ソクラテス、プラトンの時代になると、イオニアの自然哲学というのは完全に忘れられてしまいます。そして、そのあとの西洋の歴史というものは、全部、ソクラテスとプラトンの影響下にあることになります。」(池田, p.39-40)

まず、ヘラクレイトスと、ソクラテス、プラトンの位置付けがピュシスとロゴスの対比でよくわかった。そこから、ハイデガーなどに話は展開していく。

「二〇世紀に活躍した哲学者、マルティン・ハイデガーはこのことを鋭く指摘しています。つまり、「真の存在はピュシスの中にあった」と。それを然るべく突き詰めていくのが本来の哲学であったはずなのに、実はそれは理解えきないものとして葬り去られた。なぜかと言うと、「相反するものが最も美しい調和だ」などというのは矛盾しているから。そして、プラトン以降の哲学では、理性やロゴスに適った、われわれに理解できるもののみを人間は考えていくべきだ、という立場がずっと主流になってきたというのです。」(池田, p.41)

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