西洋と東洋の思想を行き来して考える:『西田幾多郎:生きることと哲学』を読んで

2018.04.15 Sunday 17:24
井庭 崇



「西田は日本の精神的な伝統の最大の「弱点」を、それが「学問」として発展しなかった点に、言いかえれば、厳密な学問的方法の基礎の上に構築された理論として展開されなかった点に見ている。まさにその弱点を克服するために西田は、日本の精神的な伝統に対して、それ自身を「空間的な鏡」に映し出すこと、つまり、異質な文化との対決ないし対話を通してそれ自身の不十分性を明らかにすること(「自己批評」)を求めたのである。」(p.170)

「私は仏論理には、我々の自己を対象とする論理、心の論理という如き萌芽があると思うのであるが、それは唯体験と云う如きもの以上に発展せなかった。それは事物の論理と云うまでに発展せなかった。私は先ず西洋論理と云われ流ものを徹底的に研究すると共に、何処までも批判的なるを要するのである。」(西田幾多郎『日本文化の問題』)

「「事物の論理」にまえで発展しなかったという仏教思想の限界を、西田はまた「意識的自己の問題に止まって制作的自己の問題に至らなかった」という言葉でも言い表している。」(p.176)

この点に関して言えば、僕は、オートポイエーシスのシステム理論という理論的基盤と、パターン・ランゲージという方法を用いて取り組んでいこうとしていると言える。

「我々は深く西洋文化の根柢に入り十分に之を把握すると共に、更に深く東洋文化の根柢に入り、その奥底に西洋文化と異なった方向を把握することによって、人類文化そのものの広く深い本質を明らかにすることができるのではないかと思うのである。それは西洋文化によて東洋文化を否定することでもなく、東洋文化によって西洋文化を否定することでもない。又その何れか一の中に他を包み込むことでもない。却って従来よりは一層深い大きな根柢を見出すことによって、両者共に新しい光に照らされることである。」(p.172)


[7] << [9] >>
-
-


<< 哲学するということ:永井均『西田幾多郎』を読んで
新規メンバー募集!井庭研 Natural & Creative Living Lab(2018秋)シラバス >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.20R]