西洋と東洋の思想を行き来して考える:『西田幾多郎:生きることと哲学』を読んで
2018.04.15 Sunday 17:24
井庭 崇
この部分を読んで、これは、人間行為のパターン・ランゲージ3.0が、単に自発的な行為だけを支えているのではない、ということに気づかされた。例えば、コラボレーション・パターン(コラパタ)。コラパタは、プロジェクトやチームにおける実践のコツが書かれているが、それは同時に、チーム全体としてうまくいくために、個々のメンバーに求められていることでもあると捉えることができる。言い換えるならば、自分がそれをよいと思い実践するということと、チーム全体をよりよく機能させるために求められていることでもあるということだ。
つまり、パターン・ランゲージは、能動的なものと求められている受動的なものとを、中動的に結ぶ(橋渡しをする)という機能も担っているのである。個々人の視点からは抜けやすかったり、気づきにくかったりする全体からの視野を、個々人が自分の内側から捉えよいと思える実践に織り込むことで、全体がうまくまわるようになる。コラボレーション・パターンや、先日井庭研でつくって共有した「クリエイティブ・コミュニティ・コード」などは、そういう働きもしてくれるのである。
今の例は、社会的な(socialな)次元への方向であるが、プレゼンテーション・パターンが、プレゼン全体がうまくいくために、個々の段階で何をどう考えるべきか、ということがまとめられている。そういうように、環境との関係が自身の内側からの視点に織り込まれるところに、パターン・ランゲージの力と可能性があると僕は思う。
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