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家族には″大″と″核″があります。大と小でもなく、核と非核でもありません。こ こでの違いは、単に人数という量の多少にかんする差である以上に、親子関係が同一
世帯に一つしかないのか、それとも二つ以上あるのか、によって決定されます。
近代社会にあって、家族の基準は核家族にあります。だから核なのです。結婚して 自分の家族を創り、そこで子供ができた状態が近代社会の家族の原点です。ですから、
ここでは『じじ・ばば』はみえません。親子関係が重層化されてはいないのです。結 婚(その前提としての恋愛)そして独立(別居)が近代家族創出の基本ルールです。
したがって、近代社会にあって大家族はあくまでも社会的に逸脱した家族形態です。
大家族では、じじ・ばばがそれなりの座を占めていますが、その存在は何を意味す るのでしょう。かれらを老人とみるかぎり、かれらは家族における弱者です。ここで は、家族のみんなが優しくいたわってあげなければなりません。死にかぎりなく接近
しつつある老人にたいしては、いつもカインドネスが若者に求められます。ですから、大家族で生活する若者は死の様式を身近に知っています。老人の顔に刻まれた深いしわの意味を知り、死を予感させる状況を肌で感じることができるとき、若者は人生の重たさに圧倒されます。
『老いては子に従え』という諺があります。これは、老人がすでに大人になった子 供にたいして、従わないケースが多すぎるから考えられたものです。ここでは老人は どこまでも頑張ります。老人が自分の子供にたいしていつまでも親の役割に固執する
場合、老人は強者として振る舞います。大家族の複雑な意思決定の構造がここにあり ます。お父さんたちは、我慢を強いられます。ここでも、大家族に住む若者は、人生
の重たいしがらみを学習させられます、無意識的に。
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