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2005年06月24日

第10回講義レビュー(その2)

【テロリズムは抑止可能なのか?】

「テロリズムは果たして抑止可能なのか?」―この問いは9.11事件以降、世界中の政策決定者を悩ませてきた課題でした。「抑止」(deterrence)というのは「思いとどまらせる」概念です。第二次大戦後の安全保障論の中核的な概念はこの「抑止論」との対話であったといっても過言ではないと思います。しかし、この論理がテロリズムの台頭によって、根本から崩されているのではないか、というのが過去4年あまりの学者たちの問題提起でした。

米ブッシュ政権から提示されたひとつの答えは、「テロリズムを抑止することには限界があり、彼らに第一撃を打たせてはならない・・・。必要に応じて我々は先制行動(Preemption)を発動する必要がある」という「先制行動論」(いわゆるブッシュ・ドクトリン)の提示でした

It has taken almost a decade for us to comprehend the true nature of this new threat. Given the goals of rogue states and terrorists, the United States can no longer solely rely on a reactive posture as we have in the past. The inability to deter a potential attacker, the immediacy of today’s threats, and the magnitude of potential harm that could be caused by our adversaries’ choice of weapons, do not permit that option. We cannot let our enemies strike first. (米ホワイトハウス『国家安全保障戦略』<2002年9月>より)

私はこの文書が提出された当時、この『国家安全保障戦略』報告に対する、あまりに多くの批判が世界(と日本)で沸きあがったことを嫌気して、「米国の先制行動論の採択は当然」という主旨の論文を『中央公論』(2003年4月号)に掲載しました。ただし「先制行動論」は「国際的な判断基準の不断の策定を必要とする」という条件つきの議論でした。論文を書いた当時も今も、テロリズムのような非対称(アクターとしての性格が異なる)の脅威に対しては、従来の抑止理論は成立せず、広義の「先制行動」の採択は、安全保障政策の立案として当然であると考えています。

ただし「先制行動」には、①従来の「自衛権」の根拠を適用できるか(放っておくと1年後にはWMDの脅威に自国がさらされるといって、原子力発電所を爆撃することは自衛権だろうか<自衛権の範囲>? またその脅威の性質は実証できるものなのか<インテリジェンスの検証>?eg.1982年のイスラエルの「オシラク爆撃」)、②多くの国がテロリズムを理由に「先制行動」論を適用すれば、戦争の敷居が低くなるのではないか?(ロシア・インドの安全保障政策における先制行動論の援用)、③実際は抑止可能性があったにも関わらず、「先制行動論」を論拠とした、攻撃がまかり通るようになりはしないか?(イラク攻撃?)・・・という多くの問題が残されたままになってしまいました。

そして米国はイラク戦争に勝利したものの、その介入の論拠とされたフセイン政権の①大量破壊兵器の保有、②テロリストとの結びつき、がそれぞれ現在に至っても立証できないという破綻(!)をきたし、そして戦後復興の混乱が「果たしてイラク戦争、さらにはそれを誘因した『先制行動』は正しかったのか?」という議論が浮上したのは無理ないことです。このような倫理の「引け目」もあり、「先制行動論」は現在浮遊した状態にあるのかもしれません。しかし、私は今でも「先制行動」はポスト9.11のとても重要な安全保障政策だと考えています。ただ、上記段落の①から③までの「先制行動」に潜む危険性を、わずかドクトリンの提示から1年余りで示してしまった。国際政治学を学ぶ私たちは、この事態に対して真摯な解釈を加えなければならないと思います。

そこで、「であるならば・・・」と考えた私は、友人らと共に「テロリズムがどこまで抑止可能なのか、ギリギリ詰めようじゃないか」という研究プロジェクトを昨年発足させました。「テロリズムは抑止できない」→「だから先制行動だ」という短絡的な論理で納得するのではなく、「テロリズムがどこまで抑止できるのか」を最後まで詰めた上で「先制行動」の採択に至らなければならない、というのが私に浮上した強い思いでした。そのレポートは、本年3月に発表され、東京財団のHPで閲覧することが可能です(http://www.tkfd.or.jp/publication/reserch/2005-2.pdf)。

【対テロ抑止戦略レポート】

「抑止論」を成立させるためには、①能力、②意思、③相互理解の三つが重要だということを以前勉強しましたね。この3条件を成り立たせるために重要なのが、相手の「合理性」だということも勉強したとおりです。そこで、我々の研究グループが注目したのは、テロリストにはいかなる「合理性」を見出すことができるか、という視点です。

我々がたどり着いた結論は、テロリズムに内在する「目的達成の合理性」でした。テロリストは確かに殉教的な攻撃手段をとり「自己保存の合理性」に乏しいが、その一方で「テロを成功させたい」という「目的達成の合理性」を見出すことができるからです。我々はこの「合理性」を抑止の論理にかけることを提唱しました。つまり、テロリズムを成功に導くあらゆる可能性を遮断する措置を強化することが、テロ抑止の総合戦略になるべきだと論じたわけです。

そのためには、「抑止」と「抑止失敗」という概念をより広義に捉えなおす必要がありました。これまでの合理的抑止理論の中でも、すでに紹介した「懲罰的抑止」とともに「拒否的抑止」(deterrence by denial)という考え方に大別することができますね。前者は報復の意志と能力を示すことによって相手の行動を思いとどまらせることですが、後者の「拒否的抑止」は自国の防御能力を高め、相手の攻撃の有効性を減じること(拒否能力)によって相手の行動を思いとどまらせることです。

結論としていえば、「懲罰的抑止」が領土的背景を持つテロリスト以外に効果を持たせるのはきわめて難しいといえます。「領土的・分離主義的テロリスト」はバスクやアチェなどの運動にも見られるとおり、その守るべき領土、組織、財産がある程度明確であり、それらへの報復可能性を明示することによって、相手を「思いとどまらせる」ことができるかもしれません。しかし、「宗教的」「社会革命」「単一争点」のテロリストは領土・組織・財産がそれぞれ明確ではなく、報復手段が効果的に抑止機能を高めるとは言いがたいわけです(<その1>で述べたように、オサマ・ビン・ラディンを拘束したとしても、アル・カイダのテロ活動は低下しないかもしれない)。ただし、それらが特定の国家・組織からの庇護を受けている場合、それらのテロ支援国家・組織(ホストアクター)への報復を示唆することによって、テロ活動(特に単発攻撃ではなく連続攻撃を行う場合)を抑止できる可能性はあります(例:タリバンとアル・カイダとの関係)。

こうしてみてみると、テロに対して抑止戦略を採る上で最も有効なのは拒否的抑止の可能性を追求することだという結論にたどりつくわけです。テロリストは目的合理性を持って行動すると前提をおいた場合、目的達成の可能性がきわめて少なく、またそのためのコストがきわめて高いことがわかれば、新たに脆弱で効果の大きいターゲットを探すことはあっても、あえて困難な目標にテロ攻撃を仕掛けることはしないという意味です。また、仮に彼らがあえて危険を冒してテロ攻撃を仕掛けてきたとしても、高い拒否能力を整備してあれば彼らの攻撃を失敗させることが見込むことができます。すなわち、テロリストに対してテロの「成功率が低い」ことへの認知度を高めることこそが、対テロ抑止の基本である。そして対テロ抑止戦略を立てる場合、どのテロリストに対しても等しく効果を発揮し、かつ実際の被害を局限できる可能性のある拒否抑止に資源を投入することが、最もコストパフォーマンスが高い方策であると考えられます。

【総合的な対テロ抑止戦略を目指して】

以上に述べたように、「対テロ抑止戦略」の力点は「拒否的抑止」をいかに高めるかが重要であると我々は考えました。その場合、①テロリストに対し「テロ攻撃はあまり効果ない」と思わせるだけの防御態勢・損害限定能力、そして②テロリストの能力を未然に削ぐ攻勢的防衛手段を高め、グローバル・リージョナル・ナショナル・ローカルという各領域において横断的でけん欠の無い体制を構築しなければならないということですね。

前者の「防御態勢・損害限定能力」の強化については、例えばバイオテロへの対策として、国内の医療体制の整備、ワクチンの確保、初動体制の整備と訓練という態勢整備が拒否的抑止力を高めることになる。また、国内の重要施設(主要国家機関、原子力発電所等)や密集施設(例えば東京ドームやディズニーランド等)などにおける対テロ機能の向上を図り、それを明示的に内外に示すことはきわめて重要であると考えられます。

また後者の「攻勢的防衛」についていえば、①PSIのような大量破壊兵器その他の移転を未然に防ぐ国際協力体制の確保、②マネーロンダリングの防止やテロリストの資産凍結措置の徹底により、テロ組織の資金を攻撃する、③入管、防疫体制を徹底し、ヒト・モノの流れを規制する等の措置を、国際機関、関係諸国・機関と連動して対応することが重要なわけですね。

このような「拒否的抑止」体制をグローバル・レベル、地域レベル・日米レベルと連動してつくることによって、テロリストに「攻撃の隙間」を与えないことが、対テロ政策の国際連携の要点である。テロ活動の「上流」と「下流」をそれぞれ押さえるシームレスな協力体制が決定的に重要となると考えられます。

ところが、日本の安全保障政策にも、未だそのような「隙間」が存在することは否定しえません。例えば、日本の防衛法制の下での①「平時」と「有事」の隙間、②「日本有事」と「周辺事態」の隙間、③ 外務省・自衛隊・海上保安庁・警察機関・法務機関の隙間・・・等々が、テロリストが忍び込む格好のターゲットとなりかねません。日本の法制度が「有事」「周辺事態」「その他グローバル」という枠組みそれぞれに法律が立てられているが、テロリストはこの地理的概念を超えて迫ってくる「空間横断的な脅威」です。したがって、日本の安全保障政策もこれを迎え撃つ「空間横断的」なものでなければならないのでしょう。

日本のテロリズム研究は、まだまだ本格的な参入の余地がたくさんあります。関心のある方は、この分野で研究を深めていくのも面白いと思います。

〔リーディング・マテリアル〕
神保謙「『先制行動』を正当化する米国の論理」『中央公論』(2003年4月号)

〔さらなる学習のために(日本語)〕
宮坂直史『国際テロリズム論』(芦書房、2002年)
宮坂直史『日本はテロを防げるか』(ちくま新書、2004年)

*宮坂直史先生(防衛大学)は、日本国内におけるもっとも優れたテロリズム研究者。その分析は精緻で、政策志向的です。まずは読んで欲しい2冊です。

〔さらなる学習のために(英語)〕
US White House, "National Strategy for Combating Terrorism" (February 2003, GPO)
Paul K. Davis, Brian Michael Jenkins, "Deterrence and Influence in Counterterrorism: A Component in the War on al Qaeda " (RAND, 2002)
Bruce Hoffman, "Al Qaeda, Trends in Terrorism and Future Potentialities: An Assessment" (RAND Publications, 2003)
Bonnie Cordes, Brian M. Jenkins etc., "A Conceptual Framework for Analyzing Terrorist Groups" (RAND Publications, 2004)
Graham Allison, Nuclear Terrorism: The Ultimate Preventable Catastrophe (Times Books: New York, 2004)

*2001年以降の米国におけるテロリズム研究はヤバいほど高密度化している。テロ組織、テロ資金、テロ思想、バイオテロ、核テロ、対テロ対策・・・等々、相当の細分化がなされている。狙いを定めて読み進めていかないと、専門分化の迷宮に入る。しかし、このテロ研究の厚みを感じ取らなければならない。

投稿者 jimbo : 2005年06月24日 15:35