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2005年06月30日

第11回講義レビュー(その1)

【日本の地政学(Geo-Politics)】

安全保障論において地政学(Geo-Politics)を学ぶことはとても重要です。地政学は「政治の地理学」ともいわれますが、国際関係をみるうえで国土(領土・領空・了解)とその影響圏を中心とする「空間」を重視する考え方といっていいでしょう。モノ・カネは移動しますが、国土は(人間の有史の時間軸では)移動することがありません。日本にとって朝鮮半島と中国は動かしたくても動かせない永遠の隣人なのですね。こうしたことを「地政学上の与件」といって、全ての国家はこの与件から自由ではありません。

日本を地政学の観点から眺めた場合、①日本が大陸と日本海・太平洋を隔てた島国であること、②モンスーン気候で稲作に適した国土であること、③南北の細長い大地で70%が山地で占められ、限られた平地に人口が密集していること、④欧州・米国よりも、極東ロシア・中国に近接していること・・・等の条件が浮かび上がります。

これらの条件は、日本が歴史的に独立を保つ上で稀に見る好条件を提供してきました。13世紀の鎌倉時代に、二度にわたり元(モンゴル)が襲来し(元寇)、日本への上陸作戦を試みましたが、日本海の荒波や暴風に祟られ、日本の征服に失敗しました。1904年の日露戦争に際しても、ソ連のバルチック艦隊は大西洋から喜望峰を超え、インド洋を経由して日本海に至る間に疲弊し、結果的に日本海軍が勝利を収める結果となりました。こうした事例は、いかに日本が国土の安全を守る上で、歴史的に以下に恵まれた地政学の下にあったかを示しています。

もちろん兵器の近代化が進み、輸送能力の向上した20世紀以降の戦略概念の下で、「地政学」における「空間」は大きく変化しました。兵力の遠方投入能力(パワープロジェクション能力)が増大し、またミサイル技術も発達しました。とはいっても、仮に日本を侵略し、占領しようとすれば、それは陸続きの欧州とは異なり、兵力移動に大規模な艦隊を組織し、揚陸させ、戦闘を行う「着上陸侵攻」を行わねばなりません。一般的に、着上陸侵攻を成功させるには、相手の6倍もの兵力が必要といわれています。第二次大戦中にナチスドイツがイギリスに侵攻することも、建国後の中国が台湾に侵攻することも、いかに困難であるかを物語っています。その意味で、日本は四面を海に囲まれていることによって、周辺国からの天然の要塞を築いているともいえるのですね。

【戦後の出発点としての日本国憲法】

さて、日本は日清・日露戦争に勝利したのち、大陸政策を積極化して次第に中国大陸へと進出し、日本の「生命線」として満州を制圧し、「帝国主義の後発国」としてその権益を拡大させていきました。国際的には孤立し、国内的には翼賛体制が成立していく過程で、太平洋戦争に突入し、結果として日本は歴史的な敗戦を帰し、無条件降伏を受け入れ第二次大戦の幕を閉じました。この20世紀前半の歴史が、戦後の日本の防衛政策を決定的に規定することになりました。

日本はポツダム宣言に沿って武装解除、非軍国主義化を実施し、1946年に交付された日本国憲法によって徹底した平和主義が志向されました。その日本の平和主義を今日まで象徴してきたのが、下記の第9条による規定です。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

皆さんが何度も目にしたであろうこの条文は、立法当初のGHQ起案者の意図としては、徹底した非武装政策を志向したものでした。敗戦国としての日本の再建を武装解除によってすすめ、仮に国家安全保障上の危機が生じた場合、国際連合の集団安全保障機能によってそれを担保するという構想がその背景にあったといわれています。1946年当時のヤルタ体制の下での大国間の協調、そして国連の安全保障機能に対する期待が、日本国憲法の理想主義を支えていたわけです。

第二次大戦の同じ敗戦国であるドイツにはどのような規定があるのでしょうか。戦後分断された西ドイツの「ドイツ基本法」第26条には下記のような規定がありました。

第26条 (1) 諸国民の平和的共存を阻害するおそれがあり、かつこのような意図でなされた行為、とくに侵略戦争の遂行を準備する行為は、違憲である。これらの行為は処罰される。
(2) 戦争遂行のための武器は、連邦政府の許可があるときにのみ、製造し、運搬し、および取引することができる。詳細は、連邦法で定める。

ずいぶん日本国憲法第9条とはトーンが違いますね。日本と西ドイツは共に侵略戦争を憲法で禁止していますが、日本が「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と言っているのに比べ、西ドイツは武器の製造・運搬・取引を認める規定となっています。

こうした差がどうして生じたのでしょうか。先述のとおり、日本ではGHQによる占領行政の下で、大国間協調を前提とした強い理想主義に基づく憲法が草案されました。ところが、戦後ドイツは四カ国分割統治によって東西に分断され、基本法の策定が日本よりも大幅に遅れました。その間に、チャーチルの「鉄のカーテン演説」、米国の「トルーマン・ドクトリン」など冷戦構造が明確化し、西ドイツは欧州における東西分断のフロントラインに立たされることになりました。そして、東ドイツ・ポーランドを通じてソ連と陸続きであることは、西ドイツが欧州防衛の最重要拠点になることを意味しました。この状況では、日本流の平和憲法を策定する状況にはなかったのです。つまり、ここでは①憲法が制定された時期の国際関係、そして②日本と西ドイツの地政学の差異が、両国の憲法・基本法のあり方に大きな変化をもたらしたといえるでしょう。

*日本の地政学的状況が、戦後政治に与えた影響を考える際に、イタリアの例が参考になることを授業で紹介しました。イタリアもまた、中欧諸国を緩衝地帯(バッファー・ゾーン)とする国家で、冷戦の最前線には位置していませんでした。これが、イタリア国内の政党構造を、日本の55年体制に近似した体制にしたと分析することができると考えられます。

【つづく】

投稿者 jimbo : 2005年06月30日 02:24