ごまちゃん、ケニヤを行く!さよなら、ケニヤ〜2
購入したサンプルは、全てケースに詰め込んだ。全ての用件が終わった。予約した飛行機の便までは時間がかなりあったが、私はとりあえず空港に向かうことにした。タクシーを自分で拾えるはずもなく、最後まで運転手に頼み込んで、つかまえてきてもらった。
「タクシー来たから」と私を呼びに来た運転手の彼(結局名前すら聞かなかった)と握手をした。このTOTOTOの運転手にもわがままを言ってあっちこっちと連れていって貰った。お抱え運転手と言う感じで、ボスに言われたから送ってやるよ、とお互いビジネスライクな態度であったが、最後となると不思議と感謝の念が沸いてくるから不思議だ。彼には奥さんや子どもはいるのだろうか?どんなところに住んでいるのだろうか?最後になって、素朴な疑問がわいてきたりした。しかし時すでに遅し。手を降って、そして車は出発した。
タクシーの運転手はまだ30そこそこにしか見えないような青年であるが、自称実は40近いという男性で、非常に陽気なモンバサ人であった。テンションが高い私は彼とぺらぺらしゃべった。「モンバサにはいつきたの?」「昨日の朝、電車で来たの」「で、今日帰るってわけ?」「そう、超ショートステイでしょ?」「もっとゆっくりいればいいのに」「今日、ナイロビに戻って、今日の夜にイギリスに向かう。それから東京に行くの。でももっとできればモンバサにいたかったわね」「ナイロビには?」「もうモンバサに来る前に2週間泊まったの。十分だわ。ナイロビはあんまり好きじゃないけど、モンバサは陽気でいいところだと思う」「でしょ?僕はケニヤの人間だけど、ぼくですらナイロビは好きじゃないからね」「寒いし」「そうそう、だから正直なケニヤ人は、もちろん、君も含めてね、モンバサが好きだというよ」
そう、モンバサの人々はこの暑さのためか、基本的に陽気だ。ナイロビは夜は冷え込むし、変に都市となってしまったきらいがある。その都市化の流れについていけないケニヤ人が、ビルのまわりを手持ちぶさたに回りにうろうろしている、そんな印象がある。しかしここモンバサは2000年の歴史を持つ、イスラムの匂いを残す古い町だ。町で最も古いと言われる港には、未だに麻袋を肩にかつぎ、上半身裸のたくましい男性達が積み荷をしている風景がある。まるで数百年前の風景に出会ったような気がして、不思議な気持ちにさせられたのをふと、思い出した。
「トーキョーの道路はきっと奇麗なんだろうな」「ええ、こんなラフじゃないから、でも逆にあなたのほうがドライビングのテクニックは上でしょうね。きっと日本人がケニヤの道を運転したら、事故るわ」「そうだろうね、でもきれいな道路を走ってみたいね」ふと見ると、彼の日銭をかせぐこの車はサニー、そう、日産車のサニーである。もうアクセルペダルやブレーキペダルの上の配線が思いきり露出しており、ちょっと足をひっかけてぶち切ったら二度と動かなくなりそうな代物だ。しかし、彼なりにフロントにマットなど敷いたりして、インテリアをそこそこ施している。日本からの中古車なのだろう、「ご使用上の注意」などと日除けの裏に張り付けてあったりして、それが可笑しかった。でも彼に「これ日本の中古車ね」とは、何故か言えなかった。
昨日見て回った、3000人を雇用しているという広大なクラフトセンターや裁縫を教えているソエトのおばさんの家を通りすぎ、車は広大な野風景を走り始めた。もうすぐ、飛行場だ。もう私の顔はにこにこであった。