ごまちゃん、ケニヤを行く!

さよなら、ケニヤ〜7


 とにもかくにも、本当にこれでナイロビとはおさらばの瞬間がやってきた。外は真っ暗。機内は全席埋っている。私のとなりは、イギリス人らしい若いカップルだ。手をお互い握っちゃって、新婚ぽい雰囲気が漂っている。新婚旅行でサファリにでも来たのかしら(その前にイギリスにも新婚旅行があるのかどうか疑問だが)、と邪推してみた。何にしても、めでたいのである。私は帰国できる、彼等は新婚ほやほやである、めでたいめでたい。

 機内アナウンスが流れた。英語と、2、3のヨーロッパ言語のあとに続いて「みなさま、ほんじつは....」こ、これは日本語ではないか。まさかナイロビで日本語を聞けると思わなかった。そういえば日本語なんてここ数日人と話していないのだ。自分で話して自分で答える毎日だった(かなり暗い)。もうすぐ、日本語を人と交すことができる。なんて素晴しいんだろう。嬉しくなって、またにやにやしてしまった。

 ケニアからの国際電話が日本につながらないわけじゃない。雑音だって、市内電話と比べれば大したことではない。電話を日本にすることは、そんな大変なことじゃない。でも、私は到着初日に日本からかかってきた電話以外、日本と電話をしていなかった。時差もあるし、疲れ果てていた所為もあると思うが、電話もせずに、自分を苦しいほうへ苦しいほうへ、無意識のうちに追い詰めていたような気がするのだ。唯一休まる時間は、全く一人でいる時間だけだった。一人だから、誰とも話せない状態が一番ほっとしたということである。私は無意識のうちに、ケニアの滞在の日々をより苦しい方へおいやっていたのではないだろうか。やりすぎなまでに身を固くし、ガードを強め、肩をいからせていた−そうだとしたら、かなり不幸な話ではある。しかし、ここまで無事にこれたのは、そうした過度な緊張感のおかげでないとは言い切れない。なにしろ初めてのアフリカ、初めての第三世界、発展途上国だったのだから。何事もなく帰路につけただけで、私にとっては上出来なのだ。

 真っ暗な暗闇に向かって、飛行機は離陸した。この次来るときには、もう少し楽しむ余裕を持って来たいものだ−しかし次はあるのだろうか?ナイロビへの往路では、一度離陸した飛行機が1時間後にロンドンにまた戻ってきてしまうハプニングがあった。思えば、あれがその先に続く今回の旅の行く先を暗示していたのかもしれない。また「ドアがきちんとしまりませんでした」等といって、飛行機がナイロビに戻ってこないことを私は真剣に祈っていた。


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