ごまちゃん、ケニヤを行く!

ナイロビからモンバサへの列車の旅~1


ナイロビからモンバサへの列車は、イギリスの植民地時代に、イギリス人がインド人、アフリカ人、アラブ人を動員して作った鉄道である。サバンナを走る鉄道は、完成までに200人もの人食いライオンの犠牲者が出たと言われるくらい、強引な計画であったとか。
今は一日2本しか走る列車はない。何しろ、飛行機ならば1時間15分のところを列車は13時間かけて走るのだから、半日という壮大な時間コストをかけねばならない。徐々に文明化されているアフリカでも、時間が勝ってきているようです。しかし、時間的優雅さを楽しむには、いい列車なのかもしれません。

さて、私はナイロビを19:00に発つ列車に乗車。一応、一等車。しかし、そこはケニヤの一等車。窓は真っ黒のまま掃除もされず、部屋の電気は半分しかつかない。飲み水用の水道もあったけれど、とても信じられそうにない。歯を磨くときすらも駅でかったミネラルウォーターを使うことにした。



陽の落ちたナイロビ駅構内(1996.11.12)

既に陽が落ちたナイロビ駅を定刻に列車は出発。しばらくすると乱暴にふとんや枕や毛布を各コンパートメントに投げ入れる乗務員がやってきた。ベッドメイキングのやり方がわからなくて困っていると、どけどけ、やってやる、という感じで慣れた手つきでベッドを完成させてくれる。シーツは一応きちんとノリがかかっており、信用出来そうである。とりあえず、眠る用意は出来たので、安心。

さて、ナイロビ駅を出るとすぐにサバンナの一帯に入る。陽は落ちて、線路沿いの家に明かりが灯っているのが見える。ケニヤの一般家庭をそういえば見たことがなかったな、と考えていると食事の時間を知らせる乗務員ががらがらと鐘をならしながらやってきた。列車はひどく揺れるので、せっかくの食事も気分が悪くなってしまった。なぜか食堂車の電気が気持ち悪いくらいについたり消えたりしている。「今日は食堂車の電気がおかしくてねぇ。いつもはこんなんじゃないんだけど」と乗務員が弁明するが、どうもうそくさい。

私たちは3人グループだったが、食堂車は4人がけの席。あと一人、乗務員が相席を求めてきた。OKすると、来た乗客はアジア人だった。一見日本人のようにも見えるが、中国か韓国じゃないか、という顔立ち。英語で聞いても、何を聞いても全く答えない。いろいろ私の連れが質問しても、手を挙げて「わかりません」というジェスチャー。最後はあきらめて、勝手に食事をとっていたが、どうもその様子が暗くて、一人で電車にのっているという辺りがあやしい。彼が去った後に私の連れが一言。「KGBかCIAじゃないの?」

外を見ていると、サバンナがうっすら見える。なーんにも無い平地である。明かりなんてもちろん無い。きっとお天気ならばもっと星がきれいだったろうに、残念なことに曇り空につき、星は殆どみえない。明日の朝に備えて、歯を磨いて寝ることにした。

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Last updated on December 9th 1996
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