序論

日本社会の「内なる国際化」が叫ばれるようになって久しい。98年末現在、日本には外国人登録により151万の外国人がおり、全国の各自治体において「住民」として生活を営んでいる。しかし、自治体が彼ら外国人を地域の住民としてとらえ、日本人と同様の権利を保障していくまでには長い年月を要した。行政は、外国人が日常的におかれている被差別の状態を認知せず、従って彼らに対する施策への取り組みに対しても長い間放置したままの状態であったのである。外国人住民に対する自治体の施策は、外国人住民自身の強い働きかけによって実施されてきたものが多いのである。

 

川崎市は外国人住民施策に先駆的に取り組んできた自治体である。それは第二次世界大戦中、当時日本の植民地であった朝鮮半島から多数の労働者が来日し、京浜工業地帯の建設に携わってきた歴史的背景と深い関係がある。また、70年代から80年代にかけては「人間都市・川崎」を唱えつづけた革新市長のもと、外国人市民への国民健康保険の適用や外国人登録法の指紋押捺の問題解決などに取り組んできた。この論文では、1960年代から1990年代にかけての神奈川県川崎市における外国人住民施策の形成過程を、自治体の政策転換に関するいくつかのモデルを用いて分析していく。

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