<注記>

 

注@:民族団体について

 

1945年の、韓国の植民地解放時、東京で「在日本朝鮮人連盟(朝連)」が結成され、在日コリアンの帰国、生活相談などの活動を行った。49年に「団体等規制令」により解散させられるも、55年に「在日本朝鮮人総聯合会(以下、総連)」を結成した。一方で46年に「在日本朝鮮居留民団」を結成し、2年後に名称を「在日本大韓民国居留民団」に変更し、現在に至っている。このように同じ民族でありながら2つの団体に分かれていることは、本国の政治情勢を反映している。各民族団体は、在日一世の「建国・帰国志向」に基づくものであった。日本での生活は仮のものであり、祖国の統一を目指し、実現した際には帰国することを前提としていたため、日本での「地域社会に根ざした生活者」としての権利獲得に関しては長い間なおざりにされてきた。しかし在日の中での世代交代が進み、二世が成人していく70年代に入って、そうした「生活レベル」での権利保障に対して民族団体が拠り所としての求心力を持たないことが明白になるにつれ、団体自身も徐々に活動方針の転換を図っていくようになる。在日本大韓民国居留民団は94年、名称から「居留」をとり、日本社会に根ざしていくことを表明した。総連は朝鮮民主主義人民共和国、民団は大韓民国をそれぞれ支持している。

 

注A:法務省の調査によると、外国人一般に指紋押捺義務を課している国・地域が日本を除いて25あるという。しかし、その内アメリカ以外はいずれも自国民にも押捺義務が課せられているのである。例外であるアメリカは、国籍法が出生地主義をとっているので、アメリカで生まれた外国人には自動的にアメリカ国籍が付与される仕組みになっている。従って、二世への指紋押捺の義務がないのである。すなわち、日本のように、自国民には押捺義務がなく、指紋を採られる外国人はたとえ二世であっても三世であっても永遠にそれが続く国は世界に存在しないのである。

 

注B:川崎市外国人教育基本方針について

 

この教育基本方針は主にオールドカマー対応の視点で書かれていたことから、98年4月にニューカマーをも視野に入れた「多文化共生」という視点に基づき改訂された。

 

注C:公務員就労時の国籍条項8割のみ撤廃の「川崎方式」に対する批判

 

川崎市が、外国人市民の公務員就労に際しての門戸の開放を発表した時、182職務の制限を明言した。しかし、その内容の公表は拒んでいた。その内容の公表を要請したのは、日立就職裁判の当事者であった朴碩石氏以外には誰もいなかった。そして、公開を要請した朴氏は市側から拒否されたのである。市は1年後に、「2010プランの推進(第2次中期計画)」を完成させ、市の基本的な人事政策の中で外国人の任用の問題を位置づけ、初めて外国人の就けない職務を公にした。このことが、新しく「川崎方式」として世間に認知され、国籍を理由とした制度的差別を是認する結果を産んだ。

 

注D:地方新時代シンポジウムについて

 

そもそも、このシンポジウムは、地方分権の流れを踏まえ、全国の市町村にそこででてきた報告のいくつかは提言(オンブズマン制度、子ども権利条例など)となり、川崎市の政策作りに反映されている。

 

注E:定住外国人の地方参政権獲得に向けて

 

97年以降、国政では長引く不況への改善策に重点が置かれていく中で、「定住外国人の地方参政権獲得」が議論されることは少なくなっていった。しかし、1999年に発足した自民・自由・公明連立政権下においては、公明党のリードのもと、また新たにこの問題を検討する気運が高まりつつある。

 

注F:川崎市・民主市民連合について

 

99年4月発足。旧社会党7人、旧民主党7人、無所属1人。社民党と市民連合が合体した政党。定住外国人の地方参政権は積極肯定派。)

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