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August 15, 2005
なつかしい
「戦中の味」復活 阪神百貨店弁当販売阪神百貨店(大阪市北区)は十五日、戦時下の一般家庭の味をイメージした「戦中献立弁当」二種類を計百二十個販売した。一人一個の限定販売とあって開店前の午前八時から行列ができ、九時四十五分には完売した。
弁当は大麦、ヒエ、アワなどを交ぜた雑穀米に、イワシの煮干しを使った「ねぎ串」などを詰めた「雑穀米弁当」と、麦とサツマイモのご飯にイワシの丸干し、カボチャなどの煮物が入った「さつま麦飯弁当」。ともに四百九十円で、お釣りの十円には、現在も使える昭和二十年代の十円札が用意された。「味の再現とおいしさを両立させるのに苦労した」という。テレビを見て販売を知ったという大阪府豊中市の主婦(62)は「懐かしいなあと思って急いできました。夫と分け合って食べます」と喜んでいた。(産経新聞 8月15日)
62歳の人が、60年以上前を再現したものを「懐かしい」という。2歳の味覚を本当に覚えているなら別として、「懐かしい」ということばの使用例の典型的な例だろう。懐かしさの対象は、必ずしも実際に自分で経験したことでなくてもいい。たとえば昭和30年代の街並みはその時代を生きたことがない人にも「懐かしい」という言葉で受け止められうる。
別にこうした商品を懐かしがるのは勝手で、昭和30年代であろうが、司馬史観を崇拝する人が愛する明治だろうが、大正の山の手であろうが、それを商品としてなら勝手に思い描いたり流通させることも別にいい。知らないくせに、知っているように錯覚するものは、きっと気持ちがいいのだろうから。
だけど、懐かしいという気持ちは色々なものを覆い隠してしまう。日本語独特といわれるこの表現は、対象をあいまいにする素敵なことばだ。でも、詩でもなく個人の感想でもなく、たとえば理論が要求される場では、懐かしいなんていうブラックボックスに全てを封じ込められることがないといいな。
やさしい夢が
夜更けを拭って
夏まで風を届かせる
続いた花火
その側で眠った
明日まで続く歌の中で
出会うこともない 出会ったはずもない
そんな二人はわずかな違いで
たやすく殺し合いも握手もできる
「世界中に愛が降り注げ!」
血まみれの両足でも
僕らは叫び続けるの
壊れたいのち
国境で今も
ぼんやり動き続けてる
戻れない旅には 歓声がよく似合う
いくつ言葉は叫びに消されて
たやすく人々は群集になり
通り過ぎ消えてゆく君は
夜明け前過ぎた国のあの子や
僕だったのかな
いつからか歩くこの場所を
いつまでも守るなんて
誰かが決めることじゃない
ここはそこで
そこはここで
君は僕で
彼は君で
僕は君で
投稿者 POE : August 15, 2005 10:06 FM
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