ここでは原さん野球以外の情報を公開します。



原さんの卒業論文
平成56年3月に東海大学政治経済学部を卒業なさった原さん。
卒業論文のテーマは「80年代の経済の展望」!!
さすが知性あふれる原さん!!どんな内容だったのでしょうか・・・。読みたいぃぃ!!



原さんの初給料
昭和55年に巨人軍に入団なさった原さんは、昭和56年4月に初給料をゲットなさいました。
推定金額は約70万円!!(私と全然違う^^;)
そして、そのお給料でお父様にはブレスレット、お母様にはカメオのブローチをプレゼントなったそうです!!
なんて親孝行なのでしょう!!



原さんのLPレコード
原さんに関するLPレコードは2枚出ています。

1枚は「燃えろエイトマン 原辰徳」というもので、これは歌ではなく原さんの生い立ちやインタビューが声で入っているものです。

2枚目は「サムシング」というもので、原さんが10曲歌っていらっしゃいます!!
作曲者も長渕剛さん、平尾昌晃さん、加山雄三さん、吉田拓郎さん、堀内孝雄さんなど超豪華!!
ここでは、10曲全部紹介したいと思います。

1.ありふれたラブソング
2.恋はうたかた
3.サム
4.僕の胸に駆けてこい
5.恋人は一人
6.どこまでも愛
7.いくつもの季節
8.季節の風の中で
9.いつか君を乗せて
10.夢の恋人よ


3曲目の「サム」は原さんの愛犬の名前です。
また、6曲目の「どこまでも愛」は、巨人の選手、特に篠塚さんがとても気に入っていて、巨人軍歌合戦などでよく歌っていました。



原さんと犬
原さんはめちゃめちゃ犬が好きです!!
最近のお話は全然知らないのですが、昔はたくさんボクサー犬を飼っていらっしゃいました。
一番有名なのは上記のLP「サムシング」のジャケットに原さんと一緒に写っていて、3曲目の題名にもなっているサムです。(サムビルっていうのもありましたね!!)
ほかにジュリア、コニー、エイトという犬もいたと思います。



原さんのラジオ番組
はっきりした期間は忘れてしまいましたが、私が小学生高学年の頃(S58の頃かな?)、シーズンオフにラジオ日本で週に1回
「原辰徳の青春讃歌」
というラジオをやっていました。
オープニングテーマは加山雄三「海 その愛」で、その曲にのって原さんの語りが入ります。その語りを全文紹介いたします。

波の音が聞こえてきます。が好きです。たまらなくが好きです。
春の海やさしさがあります。 夏の海若さがあります。
秋の海さびしさがあります。 冬の海にはたくましさがあります。
はいい。海には男のロマンがある。
打ち寄せた波は、一度引いても更に力強さを増して、再び打ち寄せてきます。
僕は海に負けないような男になりたい。
僕は体ごとぶつかっていく、そんな人生を送りたい。
何事も体で感じ体で考え、そして体で表現したい
生きているんだ、という実感を体いっぱい感じながら、これからの人生に力いっぱいぶつかっていきたい。
とにかく前へ今よりも上へ、がむしゃらに僕は前進していきたい。
失敗は恐くない。そんなくやしさは明日の活力になる。
そのくやしさを忘れた時が、輝かしい青春の終わりかもしれない。
振り返らず、青春の中を僕は歩いていく。
僕の青春。それは野球



原さんの家族
原さんには、父・貢さん、母・勝代さん、妹・詠美さんという家族がいます。
(ちなみに「辰徳」という名前の由来は、貢さんのお父さん辰次郎さんと、勝代さんのお父さん内田徳次さんから来ています。)

親子鷹として有名な貢さんは、原さんの野球人生に最も大きな影響を与えた人物と言っていいでしょう。
昭和33年1月に、福岡県の三池工業高校の野球部監督に就任なさり、昭和40年夏の甲子園で、見事初出場初優勝を飾り、この時に三塁側アルプススタンドで応援していた辰徳少年は、「僕も野球をして、お父さんを胴上げしよう!」と決意なさったそうです。
そしてその後、神奈川県の東海大相模高校の監督に就任され、昭和45年には甲子園で全国優勝を飾られました。
そして原さんが中学3年生の時、原さんはお父さんが監督をなさっている東海大相模への入学を決めたのです。それから7年間、大学卒業までお父さんのもとで数々の苦しい練習を乗り越えられ、晴れてプロにお入りになったのでした。

母・勝代さんにも、原さんの野球人生において重要な役割を果たしたエピソードがあります。
原さんがお父さんのもとで野球をするようになってから約2ヶ月後、原さんから1本の電話がかかってきました。
「僕は何も失敗してないのに、父さんになぐられた。どうしてだかわからない。」
勝代さんは、それがチームの和のためだということがすぐおわかりになり、心を鬼にし
「よかったじゃない、感謝しなさい」とおっしゃったそうです。
この時はかなりお辛かったらしく、受話器を置いてから思い切りお泣きになったそうです。
「今同情して優しい言葉をかけたら、あの子は強くなれない」と・・・・。
このことによって、原さんの強靭な精神力が養われたといっても過言ではないでしょう!

詠美さんは、原さんと5歳違いの妹さんですが、とても仲がおよろしいそうです!!
一時期は有名人の妹さん、ということで、いろいろな面でかなり苦悩されたそうですが、ケンカもほとんどしたことのない、とても仲のよい兄弟だそうです。

次に、原さんの奥様・明子さん、息子・嘉宏君を紹介します。

明子さんは、慶應義塾大学国史学のご出身です(なんと私の先輩!!)。
原さんとは、原さんが大学生の頃にお知り合いになられ、その時すでに本人たちは結婚したいという意志もあったそうですが、まわりに「まだ若すぎる」と反対され、泣く泣くバラバラになったそうです・・・。
しかし、ある時6年ぶりにばったりと再会され、昭和61年5月9日にご婚約、11月27日にご結婚なさいました!!(あの時はショックだったなぁ・・)
5歳年上の明子さんはしっかりと姉さん女房ぶりを発揮され、原さんを陰で支えていらっしゃいます。「ちらかし屋」の原さんのために、毎日お掃除されているそうです!!

そんな2人に、昭和63年4月3日、待望の赤ちゃんが誕生しました!!それが嘉宏君です!!
嘉宏君もお父さんに似て運動神経は抜群らしく、将来が期待されますね!!



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