組織の限界
通読すると面白くないが、抜き書きしてみると味わいがある。もう入手できないのが残念。
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ケネス・J・アロー(村上泰亮訳)『組織の限界』岩波書店、1999年。
p. vii
政治的組織が挫折するにもかかわらず、形式的構造に乏しい知的組織が力を発揮するということは、まさしく組織理論が取り組むべき論点の多様性の例示でもある。
p. 28
そしてわれわれは、過去の誤ちを認め、方向を変更する可能性をつねに開いておかなければならない。
p. 29
「組織」という言葉は、前章での議論で注意しておいたように、十分広く解釈すべきである。公式#フォーマル#組織、すなわち企業、労働組合、大学、政府などが、組織のすべてではない。倫理的な規則や市場システムそれ自体も、組織として解釈することができる。市場システムは、まさしくコミュニケーションと共同的意思決定のための高度な手段を備えている。
p. 30
組織の目的とは、多くの(事実上はすべての)決定が、実際に成果をあげるためには多数の個人の参加を必要とするという事実を十分に生かそうとするところにある。とくに既に注意しておいたように、組織とは価格システムがうまく働かない状況のもとで、集団的行動の利点を実現する手段なのである。
p. 35
本質的な原因は、契約に関する両当事者間の情報の不平等というところにある。
p. 50
以下で示されるテーマは、情報チャネルとその使用に伴なう不確実性、不可分割性、資本集約性の組み合わせより成る。そしてそこから導かれるのは、(a)組織の現実の構造や行動は、偶然的事件、言いかえれば、歴史に大きく依存するかもしれないということであり、(b)効率性のみの追求は、いっそうの変化に対する柔軟性と感応性の欠如につながるかもしれないということである。
意思決定は、必然的に情報の関数である。かくて、ある一群の意思決定に必要な情報を集めないという決定が下されれば、それら一群の決定は行動計画ならざるものとなる。
p. 71
組織にはさまざまの共通な性質があるが、なかでも権威#オーソリティ#による配分というやり方が広く行なわれている点に特徴がある。事実上普遍的といってよい現象であるが、いかなる規模の組織においても、ある個人によって行なわれた決定が、他の個人によって実行されるのである。権威が正当性を与えられている領域はそれぞれ限定されているかもしれないし、あるレベルにおける命令の受け手が、彼自身権威を与えられているような自分の領域を持っているかもしれない。しかし、これらの限定の範囲内で、命令のやりとりは、ある人をして、ある他の人になにをなすべきかを教えさせるのであって、このような命令のやりとりこそ、組織の機能するメカニズムの基本部分である。
p. 82
権威の価値がもっとも純粋にあらわれる例は軍隊である。そしてもちろん多くの面において、軍隊は事実最初の組織であって、その後国家に成長する。広く分散した情報と、迅速な決定の必要という条件が与えられている以上、戦術的なレベルでは権威による統制が成功のために不可欠である。
p. 82
権威に対立する逆の極端な代案は、合意#コンセンサス#である。(略)私が理解するかぎり、合意とは、個々人の利害を集計するところの、無理のないそして受け入れられた手段を意味する。
p. 86
制裁の存在は権威への服従の十分条件ではない。明らかに、もしもある程度以上の数の従業員が命令に従わなければ、そのような命令は強制できない。