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2006年03月27日

アジア発の理論

ローリング・ストーンズの東京ドーム公演を逃すという失態をしたが、収穫のある学会参加だった(昨日夕食を一緒したNK先生はサンディエゴで日本対キューバ戦を観戦したらしい。こっちも逃した私はアホだ)。

あるパネルで、シンガポールの研究者が、「なぜアジア発の国際関係の理論はないのか」と問題提起していた。日本国際政治学会がスポンサーになったパネルでも日本の国際関係論の現状について論じたようだ(私は出ていない)。

アジアや日本発の理論が皆無というわけではないが、量的には確かに少ない。一般論として言えば、それぞれの時代の覇権国で理論は栄えるものだ。それは自己正当化のためでもあるし、そうした研究に費やすリソースが豊富だということもあるだろう。

長風呂でおすすめだった『国家の品格』を休憩時間を利用して読んだ。著者の藤原正彦氏によると、数学の世界では美的な感覚が理論(定理)を生み出すために必要であり、日本は多くの数学の天才を生んでいるという。

この本は、「論理一辺倒だと破綻するよ」ということをいっているが、現在のアメリカの実証主義的な国際関係論のパラダイムでは論理がすべてといってもいい。今回の学会のパネルでも、分析の枠組みは何なのか、仮説は何なのか、適切な方法で仮説が検証されているか、といったことが厳しく議論されている。

薬師寺泰蔵先生が、イギリスの歴史主義・規範主義を第一の国際政治学とし、アメリカの実証主義を第二の国際政治学とすると、第三の国際政治学は、公共政策論の視点を入れた現実即応型になるだろうと指摘した。論理で演繹して社会で実験するというやり方は危険だ。社会実験が失敗したら取り返しが付かないからだ。だから、現実の問題をいかに解決するかという視点で理論を組み立てることが重要になるだろう。

日本や韓国は、アメリカ人の研究者から見たら「奇跡」といわれるやり方(つまり、なかなかそれまでの理論パラダイムでは理解できないやり方)で、経済復興を成し遂げた。ということは、うまくやれば新しい理論を組み立てられるということだろう。現実の後追い理論になる可能性はあるとしても、帰納的に出す理論があってもいい。

国際関係論とは離れるが、例えば、日本や韓国のブロードバンドがなぜこんなに普及したのか、欧米の人たちには理解できない。これをうまく概念化して説明できればいいのになと思う。

さて、飛行機に乗ろう。

2006年03月25日

極論争

まだサンディエゴで学会に出ている。昨日と今日はそれほどヒットする発表がなかった。インテリジェンス関連の発表は、3週間前にCIAを辞めたばかりですとか、国務省の担当者でしたとか、現職のDNIのスタッフですとか、そうそうたる人たちがいるので話の中身が濃く、得るところは多い。しかし、他の普通のパネルはno-showが多すぎる。まあ、6月にプロポーザルを出して翌年の3月に学会だから予定がフィックスできないのは分かるが、それにしてもねえ。特に有名人はキャンセルが多くて残念だ。

おもしろかったうちの一つは、John Mearsheimer教授("Back to the Future"という論文で知られる)が出ていたラウンドーテーブル。誰か(日本人?)が「二極システムのほうが安定しているんじゃないか」と質問したら、Mearsheimer教授たちが「いや、一極システムのほうが安定している。覇権国は覇権を引き延ばすために公共財(サービス)を提供するからだ」というようなことを言っていた。当然、一極が安定しているという議論は現状の米国の覇権維持を肯定することになる。三極のほうが安定するという議論もあるし、極論争はまだ続くのだろうか。

夕方、気分転換に電車に乗ってハーバーに出かける。ちょうど巨大フェリーが出航したところだった。

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2006年03月23日

日本の暗号解読

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日本チームと入れ替わりで昨日からサンディエゴに来ている。しかし、ダウンタウンから離れたホテルで開かれている学会(International Studies Association)に缶詰なので野球の余韻はまったく味わえない。ただし、日本の面影は写真のような店で見ることができる。店内はミニ秋葉原みたいな感じだ。私が泊まっている別のホテルにも本格的な寿司バーがある。寿司は本格的に流行っているなあ。

この学会は、40ほどのセッションが同時並行で進み、それが午前2回、午後2回、4日間繰り広げられる巨大なものなので、きっとおもしろい話を聞き逃しているに違いない。テーマと発表者で選んで聞くしかないが、当たり外れが当然ある。外れだと非常にがっかりする。

今日聞いた中でおもしろかったのを紹介すると、まず、ジョージタウンのJennifer Simsの「インテリジェンス理論の開発」と題する話。「インテリジェンスの目的は真実を見つけることではない。競争上の優位を獲得することだ」とのこと。そうだとすると、イラク戦争は必ずしも失敗ではない。

次に、インディアナ大学のJeffrey Hartの「情報通信技術の国際レジーム」。私と問題意識が近い。同じセッションのアメリカン大学のSimon J. Nicholsonの「遺伝子組み換え食品のアンビバレントな政治」。ザンビアへの援助として遺伝子組み換え食品が送られているのに対し、ザンビアの大統領は「毒付きだ」といっているそうだ。

一番おもしろかったのは「インテリジェンスにおける歴史的な教訓を活用する」という題のセッション。イスラエルのハイファ大学のUri Bar-Josephは、イスラエルの情報機関のパフォーマンスを1953年から2003年まで検証すると、成功したのはたった5%だという。これは低すぎる数字のような気がするが、どうなのだろう。

同じセッションで神戸大学の簑原俊洋助教授が「日本のブラック・チェインバー」と題して発表した。アメリカの暗号解読機関について暴露したハーバート・ヤードリーの『American Black Chamber』をもじったタイトルだ。日本の戦時中のインテリジェンス活動については、1945年8月13日にほとんどの文書が燃やされてしまったが、簑原先生が見つけた文書では、米国、英国、中国などの暗号を解読していたらしい。パネルの聴衆はインテリジェンスの専門家ばかりだが、みんなよく知らなかったらしい。これは大きな発見かもしれない。ペーパーが公刊されるのが楽しみだ。

2005年11月01日

象牙の塔の内側

たまたま読んだForeign Policyの記事がおもしろかった。

"Inside the Ivory Tower," Foreign Policy, November/December 2005.

アメリカの大学で国際関係論を教える教員1084人にアンケートをとったそうだ。その結果、若い教員ほど理論や学術的論争について教えているのに対し、キャリアが進むにつれて現実世界の問題を論じるようになる。したがって、象牙の塔にこもって十年一日のごとく、古いノートにしがみついた授業をやっているわけではないという。

まあ、それは当然だろう。堅実に業績を出しつつけていれば、そのうち政府の委員会などに呼ばれる機会が増えるはずだ。そうするとだんだん現実世界の仕組みがはっきり見えてくる。反面、学会誌の論文を読んでいる時間はなくなる。

教員の博士の学位の25%は、コロンビア、ハーバード、UCバークレー、MIT、ミシガン、スタンフォードのいずれかだそうだ。もっと独占率は高そうな気もするが、そんなものか。

アメリカの学者は安全保障、政治経済、米国の外交政策が得意だが、地域研究の経験が足りないという。それは強く感じるなあ。もっと在外研究やればいいのに。

2005年06月09日

ドンケル氏が死去

元GATT事務局長のドンケル氏が亡くなったそうだ。彼がまだ現役か、引退直後の頃だったと思うが、日本にシンポジウムで来たことがあった。私は学部の3年生か4年生で、ゼミの悪友たちと会議誘導のアルバイトをした。その後、アルバイトもレセプションに呼んでもらったのだが、そうそうたる顔ぶれに気後れしてしまっていた。

しかし、勇気を出して、しどろもどろの英語でドンケルに話しかけた。その時、扉が開いて、シンガポールのリー・クアン・ユーがオーラを発しながら登場して、ドンケルとの話は中断してしまっった。ところが、一息ついたところでドンケルが手招きしてくれた。日米半導体摩擦の勉強をしていたので、多角的な貿易自由化の視点から見たら、日米の二国間の合意は的はずれじゃないかというようなことを聞いた気がする。

残念ながら私の英語力は今よりはるかに悪かったので、彼の(おそらく)ドイツ語なまりの英語はほとんど理解できなかった。しかし、最後に「お前はもっと勉強しなくちゃいけない」といわれたことだけは鮮明に覚えている。

ドンケルとのこの何気ない会話は、勉強している間に思い出すことがあった。実は最近もあった。ドンケルとの議論に負けないためにはどうロジックを組み立てたらいいかと考えるのだ。そういう意味では、彼は私の中で教師のひとりとして存在してきた。

彼にとってはどうでもいいパーティー・トークだったと思うが、私にとっては本気で勉強しなくてはと思わされた重大な出来事だったと今では思う。ご冥福をお祈りしたい。

2004年12月28日

第四のパワー

Gary Hart, The Fourth Power: A Grand Strategy for the United States in the Twenty-First Century, Oxford University Press, 2004.

アメリカの元上院議員ゲーリー・ハートが書いたグランド・ストラテジー本。元政治家の本とはいえ、彼は引退後の2001年にオックスフォードから政治学の博士をとっている学者肌で、これまで13冊の本を出しているそうだ。

B・H・リデルハートの戦略論を引用しながら、冷戦体制崩壊後のアメリカにはグランド・ストラテジーがないと嘆いている。前書きを読む限りはジョン・ギャディスやポール・ケネディ(リデルハートの弟子)の影響を受けているようだ。

第四のパワーとは、政治力、経済力、軍事力に次ぐ「理念の力(the power of principle)」だそうだ。アメリカが今進み始めている帝国主義のグランド・ストラテジーは、建国の理念である民主的な共和主義の理念(the democratic republican principles)にそぐわないというのが彼の批判だ。

話はそれるがシンガポールの紀伊國屋書店はすばらしい。東南アジア一の売り場面積だそうだが、日本語、英語、中国語の本がどっさりある。東京でもこれだけ英語と中国語が揃っているところはないだろう。日本語の本だってその辺の本屋よりずっとたくさんある。ここに住んでいても研究上苦労することはないだろう。

もう一つついでに言うとハートとネグリがいつの間にか『Multitude』という『Empire』の続編を出していた。知らなかった。私にはどうも難解でピンとこないのだが読んでみよう。

2004年11月17日

2008年大統領選挙は……

気の早いアメリカのメディアは2008年大統領選挙の候補者を論じ始めている。半ば冗談、半ば本気で論じられているのがアーノルド・シュワルツネッガー! 彼はヨーロッパ生まれだから、憲法の規定で大統領になる資格はない(アメリカ国籍を持っていても、アメリカ生まれでなければ大統領になれない)。憲法を改正すべきかどうかというテレビ投票も始まっている。

今日の会議のランチョン・スピーカーはニューズウィークの記者。田舎から来た役人のみなさんにワシントン小話を繰り広げて笑いをとりまくる。最後に「2008年の大統領候補は?」との質問が出ると、両党からいろいろ名前を挙げる。しかし、最後には、「共和党はシュワルツネッガーだね。民主党はヒラリーだよ。副大統領候補はビル・クリントンだね。これなら雑誌が売れまくるよ」だって。本当になりそうで怖い。

2004年11月15日

『帝国の驕り』の著者

ABCニュースのグッド・モーニング・アメリカを見ていたら、CIAを辞任したMichael Scheuerという人物が出てきた。彼が『帝国の驕り(Imperial Hubris)』の著者Anonymousだそうだ。肩書きは、「Former Head, CIA Bin Laden Unit」となっている。すでに誰が著者かは知られていたわけだ。どうやらCIAの新体制に抗議して辞めたようだ。

2004年11月13日

Sorry Everybody

韓君のブログで教えてもらった。おもしろいといったら不謹慎かもしれないが、たしかにおもしろい。

http://www.sorryeverybody.com/

2004年11月05日

ブッシュ圧勝?

ワシントン・ポストに出た図をスキャンして載せている人がいる。これを見るとブッシュ圧勝の様子がよく分かる。ケリーは都会人にしか支持されていない。アメリカの田舎に住んでいる人はブッシュが大好きなのだ。得票数でも今回はかなり差が出ていたようだから、これでケリーが選挙人をとって当選していたらそれこそ暴動でも起きそうだ。だから、一つ前のエントリーは訂正が必要。民主党は都会派政党になり、共和党はアンチ都会派政党になったのだろう。

分裂

その昔、アンソニー・ダウンズが『民主主義の経済理論』(邦訳もあるけど絶版)で確か説明していたと思うのだが、二大政党制といっても、できるだけ得票するためにはどうしても過激に走るのではなく中道にならざるをえない。だから二大政党制でも結局は政策は近づいてきて、差が分からなくなるといわれた。クリントン政権の時には中道化が顕著に出ていた。

今回の大統領選挙を見ると、それがあてはまるのかどうか分からない。ケリーとブッシュで政策に大きな差はなかったように見える。ケリーも「私のほうがうまくできる」というぐらいで、ラディカルに政策に差があった気がしない。

しかし、有権者は二人の政策以上に分裂していたのではないかと思う。ブッシュにうんざりしたアメリカ人がカナダの移民局のウェブサイトに殺到しているというニュースは、米国民の間の分裂があまりにも深いことを示している気がする。

2004年10月31日

何が彼らを怒らせているのか

残念ながら日本人の人質が遺体で見つかったようだ。

私は9.11以来、何が彼らをそこまで怒らせているのかについて考えてきた。以前、このブログで下記の本を紹介したが、この本の著者(匿名になっている)の見方に私はだんだん与するようになってきている。

Anonymous, Imperial Hubris: Why the West is Losing the War on Terror, Washington, DC: Brassey's, 2004.

米国の自由や民主主義という価値観を彼らは嫌っているのではない。ただ単に「彼らの土地に異教徒がいる」ことが問題なのだ。もともとイスラムは異教徒に必ずしもひどい仕打ちをする宗教ではない。特に同じルーツを持つユダヤ教とキリスト教には比較的寛容だった。しかし、それは彼らが主導権を握っていた時代の話だ。今は(理由は必ずしも石油だけではないだろうが)異教徒が入り込み、大きな顔をしている。それがアメリカ人だろうが、日本人だろうが、本質的には関係ない。

われわれの価値観で見ようとするから本質を誤っている気がする。29日にアルジャジーラが流したビン・ラディンのテープでは、「米国の不実」が批判されている。そして、「ブッシュ政権は堕落したアラブの政府と変わらない」とも言っている。彼が批判しているのは、イスラムの教えに忠実ではないアラブの政府と人々であり、異教徒だ。だから、彼がサダム・フセインと手を組むはずもない。サウジ・アラビアから追放されたのも、サウジ・アラビア政府の姿勢を批判したからだ。イスラム諸国が民主化されるということにはビン・ラディンは関心を持っていない。イスラムの教えに忠実な政府と国を確立することがねらいなのだろう。そうだとすると、こちら側の目的が何であれ、招かれざる客人としてイラクを訪問することはとても危険だ。自分の家に他人が入り込んで騒いでいたら誰だって不愉快なはずだ。

無論、私はまちがっているかもしれない。だが、以前よりは問題がクリアになりつつある気がする。

上記の本で筆者が指摘しているポイントは下記の六つだ。

  1. 米国の指導者たちは明白な事実を受け入れなかった:われわれが戦っているのは犯罪でもテロでもなくイスラムの反乱(insurgency)であり、これに対処できていない
  2. 軍事力だけが米国のツールになっている:パブリック・ディプロマシーやさまざまな外交対話が成り立っていない。13億のイスラムが米国を嫌うのはその価値ではなく行動
  3. ビン・ラディンは正確に理由を語っている:フリーダム、リバティ、デモクラシーは無関係。イスラム世界での米国の行動が問題
  4. ビン・ラディンが遂行している戦争はすべてイスラム教の教義に関係がある:イスラム教徒たちがイスラム教を信仰していなかったら彼の成功はない。イスラム教徒たちは自分たちの土地が米国と西側に蹂躙されていると思っている
  5. ペルシャ湾の石油と代替エネルギー開発の欠如が問題の核心である:石油がなかったらサウジアラビアのような専制国家を米国が支持する理由はない。ビン・ラディンはこうした専制国家を破壊しようともしている
  6. この戦争は子供の代までの戦いになり、米国本土が戦場になる可能性がある

2004年10月29日

もうすぐ大統領選挙

こんなご時世だとのん気なことも書けない。地震の時は車に乗っていたのでまったく気づかなかった。ラジオの生演奏が中断して地震のニュースが入ってきたので、ミュージシャンは怒っているだろうなとのん気なことを考えていた。今週は雑事に追われて、新聞も読まず、テレビも見ずという生活になってしまった(ニュースはみんなのブログを通じてなんとなく追っている。RSSリーダは便利だなあ)。

時間があると、話題のp2p-politics.orgの動画を眺めている。しかし、ほとんどのコンテンツはInternet Archiveに入っているので、別にp2pじゃないと思うのだが、自分のサイトに置いておくと、p2p-politics.org経由でアクセスが大量に来るから耐えられないのだろう。大統領選の結果が楽しみだ。

2004年10月23日

Vote for Changeは終わっていた

いろいろお世話になっている浜村さんのブログによれば、Vote for Changeのコンサートは終わっていたらしい。考えてみれば大統領選は11月3日だから、来月の出張の時にコンサートは見られる訳がない。

私はまだブルース・スプリングスティーンをライブで見たこと無い。いいなあ。妻は見たことがあるらしいが、無理矢理連れて行かれたので有名人だとは知らなかったらしい。まったく。

2004年10月05日

GSG

立命館大学に行ったときに気になったのが、関寛治先生がやっていたグローバル・シミュレーション・ゲーミング(GSG)。今も続いているとともに、コンピュータとネットワークをフル活用するようになっているらしい。今年はもう終わってしまったが、来年は見に行ってみたい。

2004年08月18日

米大統領選を風刺する動画

JibJab.com

hotwiredの記事で紹介されていたこのサイトの「This Land」というアニメはとてもおかしい。

2004年06月23日

ユーロダラー

経済学を落第したことがある身としては、ユーロダラーとかユーロ市場というのはどうも分かりにくいので、古い本だけど、及能正男『国際マネー戦争』(講談社現代新書、1987年)で少し勉強した。

ヨーロッパ(EUROPE)に集まったドルであるためにユーロ・ダラー(EURODOLLAR)と略称されるようになった、巨大な無国籍的な国際資金市場の誕生である。(22ページ)

米国をはなれたドルがユーロ・ダラーと呼ばれるように、ドイツ国外にあるマルク建ての預金がユーロ・マルク、スイス国外にあるフラン建ての勘定がユーロ・スイス・フランと称されており、同様に日本国領土以外に所在する銀行が取引する日本円はユーロ円と呼ばれている。(78ページ)

広く非居住者に金融システムを開放し、居住者・非居住者間で当該主権通貨以外の通貨を自由に貸借する市場をユーロ通貨取引市場と呼んでいる。つまり、ロンドンで英ポンドを居住者間、居住者非居住者間、非居住者間で取引するのはいわば国内金融取引である。しかし、同じ関係の下でマルクやドルや円を定期預金の形で貸借する市場がユーロ・カレンシー市場である。(87〜88ページ)

結局のところ、最初はヨーロッパ(特にロンドン)で取引されるようになった米ドルのことだったが、徐々に、自国以外で取引される通貨をユーロカレンシーと呼ぶようになってきたようだ。

グローバリゼーションは80年代後半になって突然使われるようになった言葉だというが、この本でははっきりと次のように書いているのも興味深い。

グローバリゼーションとは経済規模の拡大、開放経済体制の進展、情報の迅速化と緻密化、取引内容の統一化、国内法・慣行規制の形骸化などによって、金融市場を第一義的な国内市場と第二義的な海外市場とに分断するという既定概念を放棄して、双方をひとつの合体した金融市場として見ることである。(191ページ)

それと、長年疑問だったことも解決した。

たとえば日本における国際金融市場のひとつの形態である外国為替市場をとらえてみても、丸の内界隈になにか特定の外国為替市場ビルというものがあって、そこの一室内で毎度NHKニュースにおなじみの、ワイシャツ姿の若い男性たち(最近は女性の進出もさかんであるが)が、マージャン台を特別に大きくしたような四角なテーブルをかこんで、両手に電話受信機を握りしめ、猛り狂い、怒鳴りあい、目をつりあげながら叫びつづけているのが、いわゆるトーキョイガイタメ市場だと思うのは錯覚である。あれはたとえば東京短資とか山根短資とかの公認ブローカー業者の事務室にすぎないのであって、実は同市場はほとんどが電話の市場、テレフォン・マーケットとして形成されているのである。テレビ局は具象的な視覚対象を放映上必要とするので、やむをえず怒鳴り合いの修羅場じみた場所を放映しているのである。(85ページ)

ちなみに山根短資は合併でセントラル短資になったらしい。

しかし、だとするとテレビのニュースで流れてくる数字はどこで誰が決めているのか。たぶん、さまざまなデータをどこかで集計して平均しているのだとは思うけど。

2004年05月30日

報道機関の自己批判

Paul Krugman, "America's press has been too soft on Bush," International Herald Tribune, May 29, 2004.

クルーグマンは、自分がコラムを書いているニューヨーク・タイムズを含めてアメリカの報道機関がブッシュ政権に甘すぎたと批判・反省している。9.11後のアメリカの報道機関は愛国精神を鼓舞するためにブッシュ政権批判を弱めてしまったがゆえに、数々の問題を招いてしまったという。

戦争の時に報道機関が体制寄りになるのはよくあること。しかし、異常な時期でも反対意見を許容しておけるか、異常な時期が過ぎたら元に戻れるかが重要だろう。

2004年05月18日

ソフトパワー

コンテンツ産業強化がソフトパワー強化ではない」がホットワイアードに掲載された。少し反発を買うかもしれないけど、ホントの話。

2004年04月14日

アメリカのビザ

Steven C. Clemons, "Visas for America: The Folly of Discouraging Visitors," International Herald Tribune , 10 April 2004.

メールを交換したことのあるクレモンスさんが送ってくれた。

アメリカは9.11後にビザの申請料を65ドルから100ドルに上げた。しかも、ビザ発給が認められなくてもこの料金は返金されない。途上国の人々にとっては大金だ。おまけに発給拒否率は9.11後に上がってきている。アメリカが内向きになって外から来る才能を拒むのは、結局はアメリカのためにならない、というのが彼の主張。

ビザ拒否率のデータも公開。
http://www.steveclemons.com/visafees.htm

でも、こういうまっとうな意見は無視されるんだろうなあ。

2004年04月13日

グランド・ストラテジー

坪内淳「「アメリカ時代の終わり」と日本のグランド・ストラテジー―日米同盟という「応急措置」の先にあるもの」『世界と議会』2004年3月号。

坪内先生は相変わらず歯切れがいい。なるほど「イラク問題」ではなく「アメリカ問題」のほうが深刻という指摘。

この戦争に「大義」があったのかどうかは、問題の本質ではないのである。アメリカがそのように「判断」し、それを単独で実行する「能力」を持っているということこそが、現在の国際関係の最大の特徴であり、それが「アメリカ問題」である。

日本の対米政策が「忠米」という指摘も面白い。きっと日米同盟堅持派からは批判が浴びせられるのだろうが、それこそがおかしいというのが坪内先生の指摘だ。

「グランド・ストラテジー」という言葉は、リデルハートが『戦略論』の中で使い、最近では(坪内先生が翻訳した)カプチャンの『アメリカ時代の終わり』で使われている。

「ポスト・ポスト冷戦」の時代(9.11後の時代)は、「グランド・ストラテジーを競う時代」になるかもしれない。言い換えればそれが「新しい帝国主義の時代」かもしれない。

日本でもグランド・ストラテジーを研究する研究者や研究所がたくさん出てこないとまずい。まずいぞ!

2004年04月03日

日米交流150周年記念式典

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横浜で「日米交流150周年記念式典」が開かれた。1854年に日米和親条約が結ばれたことを記念したもの。小泉首相やベーカー駐日米大使などが来ていた。日本語で挨拶した米国人学生のスピーチが見事だった。

式典の後で開かれたレセプションはあまりの大人数で芋洗い状態。食べ物もぜんぜん足りなかった。