人間の終わり
フランシス・フクヤマ『人間の終わり—バイオテクノロジーはなぜ危険か—』ダイヤモンド社、2002年。
金曜日から一泊で慶應の鶴岡タウンキャンパスへ行ってくる。慶應のバイオ研究の拠点だ。一度行ってみたかったのだが、バイオのことはあまり分からないので、この本を読む。
フクヤマは、冷戦が終わりかけた1989年に「歴史の終わり?」と題する論文を書いて大騒ぎを起こした。リベラルな民主主義が勝利し、体制間論争が終わったという点で歴史が終わったと指摘したのだ。これはたくさんの議論を呼び起こした。
この拙稿に対する多くの批評を通じて考えさせられたが、唯一反論できないと思ったのは、科学の終わりがない限り、歴史も終わるはずがない、ということだった。(iページ)
というわけで書かれたのがこの本である。冷戦後の世界をポスト冷戦というが、フクヤマは、バイオが社会に浸透することによって、人間の時代が終わり、ポストヒューマンの世界が来るという。
本書の目的は、[『素晴らしき新世界』を書いた]ハックスリーが正しいと論じること、現代バイオテクノロジーが重要な脅威となるのは、それが人間の性質を変え、我々が歴史上「人間後」の段階に入るかもしれないからだ、と論じることである。(9ページ)
バイオテクノロジーは、将来大きな利益をもたらす可能性がある反面で、物理的に見えやすい脅威、あるいは精神的で見えにくい脅威を伴う。これに対して、我々はどうすべきなのか。答えは明白である——国家の権力を用いて、それを規制するべきだ。(13ページ)
飛行機でこれを読みながら、どんな恐ろしいことが起きているのかと思って、庄内空港に到着。
朝一番早いフライトにしたので、午前中は世界で一番クラゲの種類を集めているという加茂水族館へ。規模はそれほど大きくないが、クラゲだけは多い。クラゲには脳も心臓も血液もない。生物だから遺伝子は持っているが、意識はないわけだ。水槽の中で傘を閉じたり開いたりしながら浮遊している。ヒトも生物だが、クラゲも生物だ。クラゲアイス(刻んだクラゲが入っている)を食べながら、あらためて生物とは何かを考えるが、当然結論は出ない。バスに揺られて鶴岡へ(しかし、この水族館は、車がないとアクセスが悪い。バス停は遠くて、数が少ないので要注意。山形は車社会だ)。
鶴岡キャンパスのの施設はいくつかに分かれていて(行くまで知らなかった)、大きく分けるとキャンパスセンターとバイオラボ棟に分かれている(ここを参照)。両者は2キロぐらい離れていて、前者は市内中心部のお堀端、後者は田んぼの中。
バイオラボで施設見学をしたり、院生や教員の話を聞いたりする。ここでの研究の中心はメタボロームである。生物の細胞の中は、genome<transcriptome<protenome<metabolomeというようにレベル分けがされる。それぞれの細胞には600〜4万ぐらいの代謝物質というのがあり、メタボローム研究というのは、この代謝物質が何なのか、これがどんな病気と関係しているのか、というのを研究するものらしい。鶴岡にある先端生命科学研究所は、この分野で世界のトップだという。
メタボロームという言葉自体は新しくはないそうだが、最近ではメタボリック・シンドロームという言葉がバブル気味に使われている(ウエスト・サイズが問題だという話だ)。メタボロームの研究を始めたときは、センスが悪いといわれたそうだが、新しい電気泳動の装置を開発することによってブレークスルーが起きた(数年前アメリカで聞いたとき[この文章の後半のフォーマットが崩れているなあ]にはゲル電気泳動と言っていたが、それより進化しているらしい)。
話を聞きながら、『人間の終わり』とは違って、実にドライで、ビジネス・オリエンティッド(特許や創薬の話が絡むので)だと思った。フクヤマのような悲観論ではなく、科学が病気を治すことができるという信念に基づく楽観論である。ヒトはこのままどんどん変わっていくのだろうか。
それにしても、研究環境としては鶴岡キャンパスはすばらしい。ご飯はうまいし、四季折々を楽しめる。車社会だから若干渋滞はあるみたいだが、通勤地獄はない。SFCへの交通アクセスと比較すると何ともうらやましい。
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