適々豈唯風月耳
土曜日、日帰りで大阪に出かける。朝7時20分の新幹線に乗り、用事の前に適塾を見に行く。言うまでもなく福澤諭吉先生が蘭学を学んだところだ。地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅から5分ぐらいのところで、日本生命のビルに囲まれている。今は大阪大学が所有している。
受付を入ってすぐのところに福澤先生の軸が飾ってある。
適々豈唯風月耳。
渺茫塵芥自天真。
世情休説不如意。
無意人乃如意人。
「適を適とする、すなわち自分の心に適することを適とする、言い換えると自分の心に適うことをたのしむ生活、それは何も自然の風月をたのしむだけのものではない。むしろ広くて見定めがたい俗世間に天の理にかなった真実があるというものだ。世の中が自分の思い通りにならなくても、何も不満をこぼすことはないではないか。ことさらたくらむことなく真実に生きる人こそ、自分の思いを達する人なのだ。」(展示解説より)
いいなあ。
二階にはヅーフ辞書(蘭和辞書)が置かれていたというヅーフ部屋がある。『福翁自伝』から想像していたよりも小さい。
「会読の準備のために、適塾内に一揃えしかないヅーフ辞書のまわりには多くの塾生たちが入れかわり立ちかわり押しよせて、この辞書を手にとることも容易でなく、ヅーフ部屋には燈火が一晩中たえなかったといわれています。塾生たちはむつかしい原書を読み解くのに、面目にかけても他の塾生から教えてもらうことはなく、完全に自分で考え工夫をして説をつけ、それで塾生同士おたがいに学力をたたかわすことを誇りにしていました。」(展示解説より)
ヅーフ部屋を抜けたところに塾生大部屋がある。ここも想像していたよりもはるかに狭い。
「適塾には、常時百人をこえる塾生がいて、外から適塾へ通ってくる外塾生と、適塾内で起居する内塾生とがありました。内塾生はこの塾生大部屋を中心に、一人当たりたたみ一畳分だけの広さが割り当てられ、その中に机や夜具をおき、学習したり寝起きしたりしたのです。毎月末には、この割り当ての場所の席換えが行われ、その月の会読での成績順に上位の者から好みの場所を占有することができました。悪い場所に当った者は、みんなの通りみちになって夜間に踏み起こされたり、勉強するのに昼間もあかりをともしたりしなければなりませんでした。」(展示解説より)
畳一畳分とは実に狭い。しかし、仲間がいるから良い勉強になったのだろうな。今は途方もなく大きくなってしまったけれど、慶應義塾の原点はやはりこの適塾なのだろう。
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