札模様  第七章

  八月  ――夏に燃える――


   

 「夏休み。」
 素敵な響きを持った言葉である。小学生から、大学生ま で、いや社会人にいたるまで、これだけ心待ちにされる言 葉は少ないのではないだろうか。言葉だけではいけない。 実態が伴っていないと言葉はむなしい。そして、小中高大 学生には、この言葉に付随する「宿題」という現実にも直 面しなければならないのだが…。
 大学のかるた会では、夏休みに夏合宿が組まれる。夏合 宿を行う場所は、通常涼しい高原が選ばれる。この年、野 辺山が選ばれたのも、かるたの練習に使える和室の大広間 の確保ができるという条件をクリアできる宿舎があったこ とに加えて、涼しそうだという理由からであった。
 小海線の野辺山駅は、JRで一番標高の高い駅である。 若者向けのショップやペンションが多く、夏は若者で賑わ う。近くには、松原湖や牧場などもあり、絶好の避暑地で ある。電波天文台もあり、きれいな夜空とあわせて、星空 のロマンをも感じさせてくれる。しかしながら、この年は 野辺山でさえも何故か異様に暑かった。うだるような暑さ の中、一日にかるたを五〜六試合取る。これはいくら若い 大学生でもきつい。まして、日頃練習していないOBなど なおさらである。
 「暑い中、一日中かるたを取ると身体も頭もボロボロに 疲れる感じがする。夜は疲れて眠るだけだ。これを何日か 繰り返す。本当にきつい。しかし、一年に一回、これをや ってるから、普段練習できない俺でも、まがりなりにも現 役選手ですって言えるんだ。大学時代の練習の貯金と夏の 合宿のお陰で、なんとか続けていられるようなもんだ。月 に一日がやっとの練習は、身体に忘れさせないために取っ ているようなものかもしれない。」
 新婚にも関わらず、新妻を家に残して合宿に参加してい るOBの高橋はこんなことを言う。OBだけではない。現 役の学生にとっても、夏合宿の意義は大きい。八月の終わ りに開催される職域・学生大会という団体戦は、体育館の 柔道場という大変に蒸し暑い環境の中で行われるのだ。ト ーナメントではないので、交代要員がいなければ負けても 負けても四試合は取り続けなければならない。そのための 体力を合宿で養っているわけである。また、数日間一つ屋 根の下で、同じ釜の飯を喰うことで、チームの連帯感を育 む効果もあると信じられているのだ。
 職域・学生大会は、年二回、三月と八月に開催される。 五人一チームで、前回の成績によりA級からE級にランク 付けされている。A〜D級は、各級八チームで構成されて いる。同一団体のチームが同じ級には二チームまで存在す ることも可能である。人数の多い学校などは、A級に二チ ーム、B級に一チーム、C級に二チーム、D級に一チーム の計六チーム出場などということも可能である。但し、三 十人は人が必要になるわけだ。逆に人の少ないチームは三 人で出場してくることもある。不戦敗が必ず二つあるわけ なので勝ち点を取るためには、三人が全勝しなければなら ない。
 実は、ミツオたちも人不足に悩んでいた。合宿は職域・ 学生大会のチーム構成を決めたりするのにも有効なのだが、 人が足りないというのは、それ以前の問題なのだった。
 ミツオたちの大学は、最近はずっと二チームで出場して いる。ミツオが入学する前には一チームしか組めず、A級 とB級を行ったり来たりだった。それが、優勝はできない もののA級入賞の常連チームとなり、前回BチームがB級 で優勝してA級に二チームを擁するようになったのは、大 いなる進歩なのである。もちろん黄金期と言われた頃のO Bにはやっとここまで復活してきたかという感じらしいが、 ここ五年くらいのOBたちは「よくやった。」と後輩たちの 活躍を誉めてくれる。そんな中で、人が足りないので、A 級二チームのうち一チームを出場辞退しますとは言えない。 辞退すると、次に二チームめを出す時にはE級から始めな ければならないので、A級に上げるためには最短で二年か かることになってしまうのだ。そうかと言って、A級とい うトップクラスに全然練習に顔を出さない者や全くの初心 者を出場させるのは、チームにとっても、出場する者にと っても不幸である。会長の熊野も悩んでいた。
 「先輩、何かいい知恵ありませんか。」
 合宿の夜は、イントロ当てクイズを始めとして全員で室 内ゲームで楽しんだり、麻雀をするグループや、酒を飲む グループにわかれたりしながら時を過ごすことが多い。イ ントロ当てクイズなどは、TV番組で優勝者を出すほどの 熱の入れようだ。音を聞いて反応するというのは、かるた 会の十八番と言えるだろう。だが、合宿の前半ということ もあり、熊野はいい相談の機会にしていた。
 「前回のAチームが、西寺、横山、古賀、佐多、敷島。準 名人を筆頭にA級優勝経験者三人抱えて準優勝だったから な。この内、卒業した横山さんが抜けるわけだ。」
 こういう相談の時、すぐに答えてくれるのが前会長の石 田だった。
 「そしてBチームは、瀬崎、春日、石田、八角、熊野と A級四人を揃えてB級優勝。ここからは瀬崎さんが抜け る。」
 「そうなんですよ。二人分の穴をどう埋めるかが問題な んです。」
 「古賀の代はみんなやめてしまって、そのあと入ってこ ないし、なんで今年は新入生がいないんだよ。」
 「実動部隊が少ないんですよ。オリエンの時だって四年 生は来てくれなかったじゃないですか。」
 「また、秋に落ち穂拾いしなくちゃな。」
 「鈴木と渡部はどうしてる。最近全然見かけないけど。」
 西寺がボソッと聞く。
 「渡部は、全く来てません。電話したんですけど、留年 してしまって、親からも大目玉くらって、進級するまでは いっさい自粛するそうです。鈴木は、合宿の後半来ます。 何やら研究会が忙しいところなので、日頃の練習もあまり 出れないって言ってますけど。」
 「高橋さん、藤沢キャンパスで一年生が入ったっていう 話はどうなったんですか。」
 「支尾 晋っていうんだ。宮崎県の高校で多少経験あり。 但し、D級。現在、月に一回程度藤沢で俺と練習している けど、試合に出るつもりは全くありませんってさ。合宿に も誘ったんだけど、帰省して車の免許取りだって…。まあ、 無理だね。だいたい、A級に出すのは可哀相だよ。タバ負 け四連続が目に見えているもんな。下手すると、いやにな って二度と取らなくなるよ。俺の貴重な練習相手を奪わな いでくれよ。」
 「まあ、そうですね。鈴木にはなんとか頼んでみましょ う。合宿に来たら、春日さんと八角に口説いてもらいまし ょう。あと一人、誰か救世主はいないですか。」
 「通信教育部とか、大学院生とかでいないかな。学部生 でも、横山さんのような知られていない経験者がいるとい いんだけど。」
 「石田、そんなうまい話がそうそうころがっているもん か。」
 「じゃあ、ミツオには何か案があるのかよ。」
 「みんなが賛成してくれればの話だけど…。」
 「えっ、いるの?」
 「山根はダメ?」
 「えーっ!」
 「一応、うちの会はやめて、千葉有明会の所属だけどさ。 職域・学生大会は、所属している会社や学校が同じならば いいわけだろう。山根はまだうちの学生してるんだから、 出場資格はあるんだよ。」
 「でも、本人がうんというか。」
 「石田さん、それよりもうちのメンバーが一緒に取るこ とを了解しますか。今ここにいない春日さんや敷島さん、 八角に古賀の意見だって聞かないとそれは決められません よ。」
 「熊野の言うとおりだと思うから、みんなが賛成してく れればって言ったんだけど。」
 「賛成。今の山根なら、計算できる。Aチームに持って 来たい。」
 「西寺さん、チームまで考えているんですか。」
 「ああ。熊野さぁ、Aチームは俺にまかせてくれるんだ よな。」
 「それは、Aチームのメンバーが決まった時にそのチー ムで決めることだと思いますけど。」
 「俺さ、なんか名人戦終わってから、個人戦が今一つつ まらないんだ。こんなふうに感じながら取っていることは みんなには申し訳ないと思っているんだけどさ。名人戦の 時に全身で感じたあの緊張の感覚がないんだ。でも、この 前の職域・学生大会で、配置から作戦からすべて考えて団 体戦を指揮したじゃないか。自分の試合は問題ないけど、 自分の取れない試合でも、当事者でありうるところにまた 格別の緊張があってね。久々にかるたが面白いって感じる ことができたんだ。是非やらせて欲しいんだよ。」
 「そうだよな。団体戦って不思議だと思うよ。去年の八 月って、Aチームは、四試合で十七勝三敗の成績おさめて 三位だもんな。普通なら優勝している成績だよな。三回戦 の東大戦で負けが集中して三敗したのが癌だった。あの時、 並び順を決めたのは横山さんだったけど、よりによって三 回戦だけ最悪の配置だったよな。深読みしすぎたんじゃな いかな。」
 「それで、前回は俺が決めた。十二勝八敗で準優勝は、 効率いいじゃないか。決勝の東大戦で横山さんが五将に負 けたのが、計算外だった。あそこで勝っていれば計算どお りの優勝だったのになあ。」
 「読みだけじゃないから団体戦が面白いんじゃないんで すか。前回のBチームだって、五将だったチーム唯一のB 級の俺だけが、他のA級選手を差し置いて全勝ですよ。し かも、勝った相手は、対戦相手チームの主将三人に副将一 人ですよ。」
 「熊野の活躍がなかったら、今回のA級二チームはなか ったよな。だけどそんなに強いお前さんが、なんで個人戦 で決勝にさえいけないんだよ。そっちのほうがよっぽど不 思議だよ。」
 「西寺さん、いじめないでくださいよ。会長やると在職 中にあがれないって石田さんが言ってましたよ。」
 「俺のせいにするなよ。あがれる人はあがれるんだから。 それより、どっちのブロックに強いチームを持っていくか が、今回のネックだぞ。」
 「そう、それなんだよ。第一ブロックが、東大A、早大、 宮城県庁、うちのBチーム。第二ブロックが、東大B、九 大、富嶽高にうちのAチーム。ここでブロック一位になれ ないことには決勝進出はないということだ。」
 「東大がどっちに強いチームを持ってくるかだよな。あ そこは、留年と大学院進学で、昨年度の主力がまるまる残 っているからな。西寺は、どう考えているんだよ。」
 「そりゃあ、Aチームに強いメンバーをもってくるさ。 あそこは、新興勢力なだけに、かつて職域・学生大会の黄 金期を築いていた早慶をともに倒して優勝することが、美 学なんだ。打倒早慶をはたして、自分たちの黄金時代を築 くつもりだから、早慶両方がある第一ブロックに主力をも ってくる。」
 「じゃあ、うちは、それをはずして第二ブロックに主力 を持っていくわけだ。」
 「だいたい、第一ブロックは、うちと対戦する時にやた らムキになる早大がいるだろう。エース沢木には、俺だっ て勝てるとは限らない。宮城県庁にもエース阿波が健在だ。 なんて言っても職域連勝記録保持者だから、あなどれない 相手だ。もしも主力をこっちにまわすと決勝に行ったとし て、決勝に行ったときには疲労困憊している。すると、第 二ブロックであがってきそうな九大に足元を掬われるかも しれない。なにせ、A級にあがったというので、今回はチ ームの主力A級五人で来るという話だから、前回うちのB チームが勝った九大よりはるかに強い。」
 「第二ブロックのお前の母校はどうなんだよ。」
 「富嶽高は、昨年のチームを支えてきた三年生が卒業し てしまったので、残留が目的といったところだと思うけ ど。」
 「そうすると主力チームで決勝進出を狙うならば、第二 ブロックのほうがいいということになりますか。第二ブロ ックにBチームをもっていけば、Bチーム残留の可能性は 高くなりそうですけど。」
 「BチームをA級に残すことより、久々に優勝を勝ち取 ることを目的にすべきだと思うけどな。」
 「残るためには、どんな環境であってもBチーム自身で がんばらなきゃいけないってことですか。俺もAチームに 行きたいな。」
 「チーム分けはこの合宿の成績も作用するんだから、頑 張ればいいじゃないか。みんなが納得する成績を残せばA チームにはいれるさ。」
 「はい。なんとかがんばります。」
 「熊野、その前に山根問題のコンセンサスを得ておいて くれよ。」
 「結局、そういう役回りは、会長の仕事ですか。」
 「そうだよ。会長は兼雑用係りだって引き継がなかった っけ。」
 「石田さんも手伝ってくださいね。」
 「しょうがない。手伝ってやるよ。」
 合宿の夜は、こうして更けていくのだった。

 合宿も後半になると、それぞれの好不調が見えてくる。 ミツオは、春日あかねとできれば同じAチームで取って、 一緒に優勝を味わいたかった。石田などは、「せっかく同期 五人が全員A級に上がれたんだから、一度でいいから、勝 負を度外視しても、それでチームを組んで出てみたいよ な。」とさえ言っていたが、それは無理な相談だった。他の メンバーの頭には、やはり、優勝を目指すチーム編成しか なかった。ミツオはAチームに入れる成績をあげていたが、 あかねはほぼ絶望的だった。春学期は就職活動であまり練 習できなかったのが響いているようだ。食事もほとんど残 している。食事の時になるとミツオはあかねのそばに心配 そうに座っていた。
 「あかねちゃん、ちゃんと食べないと駄目だよ。食べら れないほど疲れているのはわかるけど、夏バテがひどくな るだけだから、無理してでも食べなきゃ。」
 「ミツオくん、心配してくれてありがとう。でも、本当 にこれ以上食べれないの。無理するとかえって気持ち悪く なるの。そうなると余計体力を消耗しちゃうでしょ。わた しの分食べてもいいのよ。」
 「いや、ぼくの分だけで充分だよ。」
 「ミツオも食わないなら、春日の分もらってもいいかな。 ちょっとおかずが足りなくて…。」
 敷島は、さすがによく食べる。汗を拭き拭き、食事を続 ける。あの巨躯を維持するためにはそれなりに食べなけれ ばならないのだろう。しかし、ミツオは敷島の食欲の五分 の一でいいから、あかねに分けてやりたいと感じていた。
 あかねは不調であったが、古賀は、絶好調だった。西寺 準名人は別格として、古賀は圧倒的に強かった。ナンバー ツウの座は完全に彼のものだった。続いて、ミツオと敷島 の留年コンビ、以下、熊野、八角、石田、春日といった順 番をつけることが可能だ。鈴木も、遅れて合宿に来た。職 域・学生大会にも出てくれるという。しかし、出場にあた っては条件付きだった。
 「出場はOKです。職域練習も二日くらいは時間をつく るし、できる範囲で精一杯やります。ただし、結果につい ては期待しないでください。あとで肝腎なところで負けた とか責めないでほしいんですけど…。それでよければ出場 します。」
 鈴木の条件を断わる理由はない。Bチームで和気藹々と 取ってもらえれば御の字である。これで二つの穴のうち一 つが埋まった。

 合宿も後半の土日となると顔を出すOBも多く、にぎや かになる。かるたを久し振りに取りに来るもの、イントロ 当てクイズを楽しみに来るもの、打ち上げのコンパで後輩 と飲むのを楽しみとしているものなど、合宿に来る目的は 様々だ。実際のところは、会社などの日常生活から離れ、 気分だけは学生時代に戻って、日頃のストレスを発散する 効用のためではないだろうか。
 就職したばかりの横山と瀬崎も土日の一泊で来ていた。 会社では下っ端だが、ここに来れば一応OBとして、現役 からは下にも置かぬもてなしを受けることができる。瀬崎 などは、過労のためか体調が悪く微熱があるにも関わらず 来ている。
 「そんな調子なら、家で休んでいればいいじゃないです か。」
 「ミツオなあ、休むための休暇ほど寂しいものはないん だよ。休暇ってのは、何かをするために使うもんなんだ。 学生の時は、時間があっても金がなかったから、やりたい ことが充分にできなかっただろ。でも今は金はあるけど、 時間がないから、やりたいことが充分できない。そんなん だからこそ、今の時間を大事に過ごしたいのさ。」
 ミツオには、瀬崎の気持ちがなんとなくわかった。ミツ オ自身も、やりたいことをする時間がほしい。時間は金で は買えないと思うからだった。
 さて、最終練習のあと、コンパまでのしばらくの時間、 チーム編成についての最終の打ち合わせが持たれた。一番 の議題は、山根志保の参加問題であった。
 熊野が意見を求めるが、誰も答えない。仕方がないので 指名して意見を聞く。
 「春日さんは、どう思いますか。」
 「わたしは、正直言うといやよ。でもね、先輩とわたし たちが上げて、やっとA級二チームの栄光を勝ち取ったの よ。せめて十人フルに出場させたいじゃない。やむをえな いわね。でも、わたしは彼女と同じチームでは絶対出ない から…。」
 「古賀は、どう思う。」
 「練習で取ってもらったことがありますけど、強い人で すから出てくれれば戦力でしょう。出てほしいな。でも、 職域練習にはちゃんと出て欲しいですね。」
 「鈴木は、どう。」
 「私は、前から超苦手でしたから…。まあ本人さえいい って言うならいいんじゃないですか。」
 「西寺さん、石田さん、佐多さんは一応OKでしたよね。」
 「ああ。」
 「うん。」
 「いいよ。」
 「敷島さんは。」
 「高橋さんは、うちの職員だけど出れないんですか。」
 「おれは、職員チームでうちの会OBの二人と一緒に登 録しちゃってるからな。二人に出る気がないからどうせ出 れないんだけどさ。現役と出ると二重登録ってことになっ てまずいんだよ。誰か大学職員になろうってやつはいない のかな。」
 「そうなんですか。じゃあ、山根に出てもらおうよ。」
 「わかりました。あとは八角。」
 「私はあかね先輩と同じ意見ですけど。」
 「OBの方々のご意見はどうですか。」
 「当事者である現役が決めるべき問題で、我々が口をは さむことじゃないよ。みんなの意見を聞いたんだから、会 長が決断すればいいじゃないか。」
 「はい。じゃあ、電話かけて本人の意向を聞いてみます。」
 熊野は、山根に電話をするためにフロントの方にに行っ た。
 「どうだった。」
 五分ほどたって、熊野が戻ると、一同の視線が集中する。
 「一応、出てくれるそうです。」
 「えっ。」
 「そりゃよかった。」
 「よくもないんですよ。」
 「なんで。」
 「山根さんから、条件を出されました。」
 「何。」
 「Aチームの主将にすることだそうです。呑んでくれな いなら出ないって言ってました。」
 「準名人がいてもかよ。」
 「あ、それ、言いました。だからこそ主将になりたいそ うです。」
 「職域練習には出てくれるんですか。」
 「ああ、それも言った。職練に出て、上位五人に入るこ とを証明してくださいって。」
 「えらいっ。熊野よく言った。」
 「それが人にものを頼む態度かしらって言われました。」
 「何言ってんだよ。誰のお陰でかるたが強くなったんだ よ。」
 「それは山根さんも言ってましたよ。あたしを強くして くれた古巣のよしみで許したげるって。職練にも参加する って言ってました。」
 「で、条件を呑んだかどうかもう一回電話するんだよ な。」
 「ええ、そうです。」
 「よし、今度は俺がかける。条件は呑もう。ただし、着 席順を決めるのは俺がやることを承知させる。みんないい な。」
 今度は、西寺が電話をかけに行った。そして数分後には、 山根の出場が決まったのだった。
 この日の晩、合宿打ち上げコンパが行われた。普段はあ まり飲まない春日が、OBにすすめられるままにグラスを あけている。珍しく酔っ払ったあかねを介抱しながら、ミ ツオは複雑な思いにかられていた。

  *

 合宿が終わってから、職域・学生大会の前に組まれる練 習を「職練」と言う。職域・学生大会のための練習、すな わち職域練習を縮めてこう言うのだ。
 山根志保は約束どおり毎日来ていた。しかも、言っただ けの戦績を上げていた。西寺にこそ負けたものの、古賀と ミツオに三枚差で勝ち、敷島には五枚勝ち、石田、熊野、 八角、鈴木には二桁枚差のタバ勝ちであった。一般会に移 籍して何か芯が太くなったようだ。あとは、春日との対戦 を残すのみだった。しかし、春日は、ここまでずっと対戦 拒否していた。実際、春日は、ここまで全敗で、鈴木亜紀 子にさえ、二枚で負けていた。疲労がピークに来ているよ うだった。ミツオは、試合まで休むようにすすめているの だが、山根が来ているのが気になるようで、練習を休む気 配はまったくなかった。別に取らなくても、山根・春日戦 の結果は見えている感じだが、会長の熊野がどういうわけ か対戦を組みたがった。
 「春日先輩、山根さんと取ってくださいよ。一応、当日 のチーム分けと順位付けの参考にしたいんです。」
 「どうしても取らなくちゃ駄目なの。今度は私が詠みを やってもいいわよ。」
 断わるあかねを八角もフォローする。
 「熊野くん、あかね先輩が嫌がってるんだから、いいじゃ ないの。」
 「えーっ、ま、まあ、そのー、駄目ですか。」
 「あたしは、いいわよ。どっちでも。」
 山根は余裕の表情だ。
 「あんたに勝ったからって、ミツオと別れろなんて言わ ないわよ。」
 山根が呟いた一言が、あかねの耳に入った。
 「なんですって。」
 「いいえ、別に。」
 「志保ちゃん、いいわよ。取りましょうよ。」
 山根の一言が、大人しいあかねの心の琴線に触れたらし い。珍しくエキサイトしている。
 こうして、山根・春日戦が組まれることになった。ミツ オは、鈴木との対戦だったが、こっちの試合が気が気でな らない。試合の経過をしばしば確認していた。
 あかねは、いきなり、敵陣の「さ」の札を力強く抜く。
 「はいった!」
 声まで出すなど、普段の春日からは考えられない。次の 「やまざ」は、敵陣の「やまが」を攻めてから戻って自陣 で取る。すごいスピードで戻りながら「ラッキー」と口走 る。志保は、わけのわからないまま「もも」で春日陣の「も ろ」にかすかに触れてしまう。
 「チャンス!」
 あかねが、相手のお手つきに声を出すことも滅多にない ことだった。
 早くも四枚差である。この勢いで春日のラッシュが炸裂 し、序盤にして十五対二十五と十枚差のリードを奪った。
 「あかねちゃんって、こんなだったっけ。まるで別人み たいだ。」
 ミツオは心の中でひとりごちた。おかげで鈴木とは競っ た試合をする羽目になっていた。
 しかし、山根志保も反撃にでる。春日に右を守らせない 攻めでプレッシャーをかける。持ち札は山根の方が多いの だが、別れ札を初めとして何故か札の出は春日陣からだっ た。あかねのラッシュが止まった。十枚対十枚のセームか らが、お互いにとって胸突き八丁となった。双方、狙いは 敵陣である。ほとんど札の出で取りが決まる感じだ。春日 四枚、山根五枚の時に、ミツオは鈴木との対戦を終えた。 四枚差の勝ちだった。ということは、春日たちのほうが出 が悪い。カラ札は少なくなっている。ミツオは距離をおい て、対戦を見つめる。
 「あかつきばかりうきものはなし…。ち…」
 詠みの声にあかねが敵陣の一字に決まった「ちは」を物 凄い勢いで払った。
 「のぶれどいろにでにけり…」
 が、しかし、「ち」でなく「しの」だったのだ。攻めでバ ランスを崩していたあかねに戻れるわけがなく、ゆっくり と志保は春日陣の「しの」を押えた。二枚送る志保。これ で三対五と山根二枚のリードである。他の連中がタバで負 けていることを考えるとここまでの春日は大健闘と言えた。 ここで、あかねは今までにやったことのないことをした。 右下段に五枚を全部並べた。どうやら守り切るつもりだ。
 「ひとのとふまで…。ありまやま…」
 あかねは、一音で札を囲うように手を出して守る。山根 の手は、あかねにブロックされてしまった。このあともあ かねは守り続け、一枚対三枚とさきにリーチをかける。
 あかねの持ち札は二字になっている「はるの」、山根は、 「はなの」(二字に変化)、「ふ」「わび」(一字に変化)の三 枚である。
 「…なみだかな…。はるのよの…」
 あかねは守ればいいものを、何故か敵陣に反応していた。 これが競技者としての性なのだ。志保が抜いて、一字にな った「はなの」を送ってくる。同じ音は続けて出ないとの 読みなのだ。おそらく「はなの」が百枚めだと考えている のだろう。右下段に内側から「ふ」「わび」を並べて、構え の手も通常よりはるかに札に近いところに置いている。あ かねの構えは、見え見えの攻め体制である。自陣など抜か れても構わないというくらいの気構えが見て取れる。いつ もより手の位置が左寄りである。
 「かひなくたたむなこそおしけれ…。わびぬれば…」
 音の出るタイミングをはかって出たあかねが「わび」一 枚を跳ねる。志保は「ふ」にしか触れていない。
 あかねの勝利だった。
 あかねの意地だったのだろうか。ミツオは驚いていた。 対戦中のあかねの顔には鬼気迫るものがあった。この変わ り様を見るとあかねの勝利を何故か素直に喜べなかった。
 「熊野くん。Bチームの仕切りはわたしにまかせてくれ ないかしら。」
 「えっ。Bチームは現会長のぼくが主将で、席順も決め るつもりなんですけど。」
 「別に主将は、あなたでいいのよ。席決めだけやらせて くれれば。絶対、後悔させないから。」
 「いいじゃないか、今の試合見ていただろ。あの気迫を 職域の席決めでだしてもらえば。」
 西寺の一言で、熊野は肯いた。
 一方、春日の発言を聞いていた山根は、憮然として部屋 から出ていった。
 何故だか、それも気になるミツオであった。
 大会は、二日後に迫っていた。

  *

 職域・学生大会の会場は、江戸川区にあるスポーツセン ターである。駅で集まっていると他チームの見知った顔が 通り過ぎていく。朝だというのに暑いのか、ハンカチで顔 の汗を拭いながら歩いていくものもいる。気候のせいなの か緊張のせいなのかはわかりはしない。中には団体戦デビ ューのものもいるのだ。適度な緊張感は大切である。慣れ て緊張感をなくすとミスも増える。緊張しなくなっては、 選手としては失格なのかもしれない。緊張は試合のスパイ スでもあるのだ。
 実際、この日は暑かった。会場の柔道場は、残暑の厳し い日にはそれこそ蒸し風呂である。札の暗記をしていても、 顎をつたって汗が札や畳の上に落ちてくる。夏の職域を制 するには暑さをも制しなければならなかった。
 会場に到着すると、会費を納入し、チームと選手を登録 する。試合用の服に着替えて準備をするものもいる。チー ムでTシャツを揃えるところも多い。市販の同じ柄のもの を着ているチームもあれば、オリジナルを作っているとこ ろもある。これを見ているだけでも結構楽しめる。登録を 締め切ると開会式なのだが、その前に重大な情報が飛び込 んだ。
 「おい。大変だぞ。読みがはずれた。」
 「な、なんなんだよ。」
 「東大が強いほうをうちのブロックにぶつけてきた。」
 「えっ!」
 敷島の情報は、慶大Aチームに波紋をもたらした。東大 の強いチームは、第一ブロックで一位を狙ってくると読ん でいたからだ。
 「やつらは、ワンツーフィニッシュを狙ったな。俺たち も舐められたもんだ。そんなムシのいい話にはさせないか らな。Bチームも東大の二チームめになら勝てるからな。 気合い入れていくぞ。」
 東大の挑戦は、西寺の闘志に火をつけたようだった。
 A級第一ブロック一回戦の組み合わせは、慶大B=東大 A、早大=宮城県庁、第二ブロックは、慶大A=九大、富 嶽高=東大Bとなった。同一チームが横一線に並んで取る のは圧巻である。札を並べるのにも、横の位置を確認しな がら、できるだけ他の組と畳の目を合わせようとするもの もいれば、まわりはお構いなしに自分の感覚で並べるもの もいる。結局、後者は、あとでまわりから、少しずれても らえませんかと言われ、多少場所を動かさなければならな くなってしまい、並べ終わるのが遅くなってしまったりす る。この辺も、選手の個性である。
 札を並べ終わって、ミツオはトイレに立った。トイレに 行くと今まさに敷島が個室に入るところだった。
 「敷島、よく出しとけよ。」
 軽い冗談のつもりで声をかけたのだが、意外な返事が返 ってきた。
 「朝、下宿を出る前からずっと下痢なんだ。試合中、心 配でさ。なんか力も入んないし…。」
 「そっ、そうか。あとで征露丸でももらって飲んだら。」
 ミツオが用を足し終えて手を洗っていると、西寺と古賀 も入って来た。
 「ありゃ、ふたり来たんじゃ、会場には、山根だけかよ。」
 「いや、山根も席はずしてる。」
 「じゃあ、会場にうちのチーム誰もいないじゃないか。」
 あわてて戻ってみるとミツオたちの席は、もぬけの殻だ った。Bチームのほうも春日しか席についていない。
 「大丈夫かな。」と、多少不安になるミツオだった。
 Aチームは、結局、主将山根、副将西寺、三将古賀、四 将佐多、五将敷島に落ち着いていた。一時は一人も席にい なかったが、さすがに開始の約二分前には、みんな着席し ていた。
 「二分前です。」
 役員のコールがあった。二分前になると畳を叩いて素振 りをしてもいいのだ。あちこちでバシッバシッと音がする。 暗記でなく気合を入れるために叩く奴がいるので余計にう るさい。柔道場はスプリングが利いているので、会場全体 が揺れる感じだ。隣を見ると古賀はバシバシ叩いているが、 他のメンバーが叩かないのでチームとしては静かなほうだ。
 「時間です。カラ札一枚。」
 「よろしくお願いします。よろしくお願いします。」
 対戦相手と詠み手への挨拶がいたるところで交わされる ので、これまた賑やかになる。
 「難波津に咲くやこの花冬ごもり…、
   今を春辺と咲くやこの花…、
   …いま……。」
 「バシッ。」
 序歌の二回めの下の句の時に札を払う音がした。
 「あっ、すいません。『いま』が二枚自陣で決まっていた もので……。」
 会場の隅のほうから声がする。女子高生らしい。
 「可哀想に。」
 ミツオには他人の同情をする余裕があった。
 「きっと、緊張していたのだろう。これで余計に緊張し なければいいけど…。敵陣に『いまこ』自陣に『いまは』、 自陣で決まっているのが『やま』『はる』だな。」
 こうした時間でも札のチェックを入れる。
 「詠み直します。難波津に………。」
 場のざわつきが収まって、詠みの仕切り直しだ。
 「いまをはるべとさくやこのはな…。はるすぎて…。」
 確認したばかりの「はるす」が出た。まずは一枚、幸先 の良いスタートだった。
 一回戦は、西寺が相手の主将相手に十三枚、佐多が副将 相手に十一枚、山根が四将相手に十枚とあっさり三勝を上 げた。勝ち点一である。敷島は、腹に力が入らないのか元 気がなく五枚で負けてしまった。古賀は取りは速いのだが お手つきが多かった。接戦の末の一枚負けだった。しかし、 スタートの勝ちは大事である。西寺が相手の主将を真ん中 の席と読んだ読みもバッチリだった。まずは、よしとしよ う。
 一方、第一ブロックのBチームは東大Aと接戦を繰り広 げていた。主力の五人は第二ブロックなのだから、Aチー ムと名乗ってはいるが実態は二軍である。二軍と言っても 戦力が大きく落ちるわけではないのが、東大の怖いところ である。初代の藍沢から数年で、層の厚い会に成長した。 各学年にもまんべんなく会員がいて、やっとのこと二チー ム出しているどこかの大学とは大違いなのだ。上位の十人 に入るのにさえ、熾烈な内部での争いがあるのだ。
 東大抬頭の秘密は、藍沢たちの努力もあるが、それだけ ではないだろう。受験勉強のトップを勝ち取ってきた資質 も関係あるはずだ。それは、目的に対して強い指向性を持 っていることでもあり、なせばなるはずだという信念もそ うだろう。中には、古賀と同じようにかるたのセンスに恵 まれて、早く強くなったものもいるが、どう考えても、か るたには向かないんじゃないのという学生も歩みが遅くと も強くなっていく。これは、かるたが好きで、練習・努力 を怠らないという姿勢の賜物である。どうだろう、受験勉 強に必要な要素と同じではないだろうか。ミツオは、東大 勢が地方大会に大量進出し始める前に、地方遠征でA級に あがっておいてよかったとつくづく感じていた。
 まずは、主将を引きあてた五将鈴木が十五枚で負けた。 次に四将春日が五将相手に五枚で勝った。残り三人のうち 次に抜けたのが副将の八角で四将に三枚差だった。これで 二勝。主将熊野と三将石田のどちらかが勝てばよい。熊野 は副将と、石田は三将との対戦で、ともに一・一の運命戦 となった。うまい具合に、持ち札は別れている。熊野が、「み よ」、石田が「たれ」、どちらも一字に決まっていた。攻め る必要はない。二人で守り抜かれさえしなければいいのだ。 片や逆の札を持つ相手は、一人が抜きに行き、一人が守ら なければならない。目配せが露骨で、「たれ」の出にかける ようだった。しかし、読みは見事にはずれ「みよ」が詠ま れてゲームセット。熊野はしっかり守り切った。
 二回戦の前に昼食休憩が入る。
 「食い過ぎるんじゃないぞ。腹の血の巡りばかりよくな って、眠くなるからな。」
 西寺が注意する。腹具合の悪い敷島は、何も食べないよ うだ。
 「あれだけ、身がついているんだから一食くらい抜いて も大丈夫よ。」
 ミツオとおにぎりを食べながら、あかねが軽口を言う。 職練で山根に勝ってから元気が良くなった。おにぎりも自 分で握ってきたと言う。
 「ミツオくん、午後もがんばってね。」
 「ありがとう。弁当ごちそうさま。あかねちゃんもがん ばれよ。」
 進行上、昼食休憩もあわただしく過ぎ、すぐに二回戦が 始まる。
 二回戦は、Aチームが富嶽高と、Bチームが宮城県庁と だった。Aチームは、古賀が主将に一枚で負け、敷島が副 将に僅差で負けたが、残り三人がタバ勝ちして二つめの勝 ち点を上げた。西寺が主将を引いてつぶすはずの読みはは ずれてしまったが、結果オーライである。
 Bチームは、春日の読みがあたり、再び鈴木を主将の阿 波にあてた。春日自身も副将の阿波夫人にあたり、この二 人が負け、残りの三人がそれぞれ僅差で勝利をものにした。  「俺たち二チームで決勝も夢じゃないぞ。次で勝ち点を あげれば決勝進出だぞ。」
 西寺も熊野もその気になっている。今までだったら強気 の発言をしていた山根が、今回はやけにおとなしい。主将 にしろといったことにプレッシャーを受けているのだろう か。過去においては、きも肝の試合で潰れたこともあるので自 重しているのかもしれない。
 第二ブロックでは、優勝候補の東大Bが九大に勝ち点を 落とすという波乱があった。実は、九大は二回戦から、六 将と七将が登場した。この二人は、四年生で今回A級にチ ームがあがったからと言って参加した事実上の副将と三将 だった。しかし、やむをえない事情で、一回戦に遅れるこ とになり、六・七将の登録になったのだ。一回戦に九大と 対戦したことは、この二人抜きの弱いチーム状態だったわ けで、慶大Aチームにとってはラッキーとしかいいようが なかった。
 予選ブロックの三回戦が始まった。
 第一ブロックの対戦は、慶大B(勝ち点二)対早大(勝 ち点一)、東大A(勝ち点無し)対宮城県庁(勝ち点一)だ った。早大は、売り出し中の沢木を主将に据え、四年生三 人と成瀬陽子でチームを編成していた。職域・学生大会の 第一回優勝を始めとし、最多優勝を誇る団体戦の老舗も最 近は不調のようである。早大といえば、昔は純血主義で早 大の学生しか会員になれなかった。しかし、練習に人が集 まらないといった事情もあり、ある時期から、早大以外の 大学からも会員を受け入れるようになった。そのおかげで、 会の練習は盛り上がり、強い選手が生まれるようになった。 だが、本家の早大の在学者の会員数が少なくなってしまっ たのだ。しかも早大の新人がなかなか育たない。こうした 中での、沢木の加入は大きい。早大生の核ができ、団体戦 の戦力もキャリアを持つ四年生と組ませることで、チーム にまとまりが出てきた。復活の時だった。一回戦こそ、宮 城県庁に沢木をうまくはずされ、主将に副将をつぶされて しまい勝ち点を落としたが、続く東大Aには三勝を上げた。 石田や春日にとってはお馴染みの立浪や一本、脇の四年ト リオが活躍している。
 対戦は、熊野対立浪、八角対一本、石田対脇、春日対成 瀬、鈴木対沢木だった。春日の読みはまたしても、鈴木に 主将をあてた。
 「あっこちゃん、ごめんね。主将ばかりあてて。」
 「いいんです。それが一番のあたりだってわかってます から。せいぜい相手を疲れさすくらいには、頑張りますか ら…。」
 あまり相手を疲れさすこともできず二十三枚で負けた鈴 木だったが、これはやむをえなかった。しかし、今回は他 がうまくいかなかった。主将の熊野は副将の立浪に四枚差 で負け、副将の八角も三将の一本に七枚で負けてしまった。 石田が三枚、春日が二枚で勝ちはしたが、二勝三敗の結果 だった。
 第二ブロックは、慶大A(勝ち点二)対東大B(勝ち点 一)、九大(勝ち点一)対富嶽高(勝ち点無し)の対戦とな った。
 一番  敷島(五将)=沢村(五将)
 二番  古賀(三将)=春川(四将)
 三番  山根(主将)=水沼(三将)
 四番  佐多(四将)=真田(副将)
 五番  西寺(副将)=斎藤(主将)
 またしても、西寺の主将潰しがあたった。斎藤は端に来 ると読んだ配置は正解だった。まず、西寺が七枚差で勝っ た。次に古賀が四枚差で勝った。この時点で、他の三組は すべて二枚対二枚ともつれにもつれていた。慶大はあと一 勝で良いのだ。しかし、敷島がお手つきしてバランスを崩 す。次の一枚を取ったものの、山根もミツオも相手に取ら れていた。三勝すべて勝たなければならない相手は、リー チ札を一字に決まっている「つき」に揃えていた。はたし て、次に出た札は「あし」。さきほど「あさじ」でこの札を さわってしまった敷島は、躊躇したのか相手に取られてゲ ームセット。二枚差の負けだ。残る二組は運命戦である。 相手は「つき」と心中するつもりである。山根かミツオか どちらかが攻めにいかなければならない。ミツオは山根に サインを送る。「自分が攻める」と。うなずく山根。
 「ながながしよをひとりかもねむ…。つきみれば…。」
 フライング覚悟で出ようとしたミツオだったが、そうそ ううまいタイミングがつかめるものでもない。あっさり守 られてしまった。山根のほうも守られていた。二勝三敗。 東大は「つき」にのって賭けに勝ったのだった。
 「ミツオ、自分が攻めるってサインだったよな。」
 「ああ、そうだよ。」
 「山根のやつ攻めに行ってたぞ。結果的には合っていた んだけど…。」
 「サイン忘れたのかな?」
 「さあ。」
 おそらく自分の判断なのだろう。間違えたわけじゃない からいいが、出札が逆で二人とも抜かれてたら、洒落にも ならないと思う。誰がなんと言おうと自分の考えたとおり に札を取りに行く。そこが山根志保の山根志保たる所以な のだが…。
 慶大二チームがともに敗れたことで、決勝進出チームの 決定は混迷を極めた。これというのも、もとはと言えば、 東大が狙いをはずして、強いチームを第二ブロックに持っ てきたのが原因なのだ。
 さて、第一ブロック。勝ち点二は早大と慶大B、勝ち点 一が東大Aと宮城県庁。勝ち点が同点の場合、勝数の多い ほうが上位である。これでブロック三位が八勝の東大A、 ブロック四位が六勝の宮城県庁と決まった。早大と慶大B は、勝数八でこれまた同点だった。すると次の基準は、全 勝者数である。早大は、沢木一人。慶大Bはゼロ。したが って、ブロック一位が早大、二位が慶大Bと決まった。
 続いて、第二ブロック。勝ち点二は、九大、東大B、慶 大Aの三チーム。勝ち点無しが富嶽高。まず、四位が決定。 勝数も三チームとも八勝で同点。全勝者数は、慶大Aと東 大Bに各一人で、九大にはいない。これで三位が決定。続 いての基準は、主将成績である。これも、同じ場合は以下、 副将・三将…と続いていく。主将は二勝一敗で同点、副将 は全勝でこれも同点。三将は一勝二敗で、またまた同点。 四将佐多三男は二勝一敗、四将春川克三は一勝二敗。この 四将成績で、慶大Aチームのブロック一位が決まった。混 沌とした予選を勝ち上がって決勝進出を決めたのは、職域・ 学生大会の老舗である早慶の両校であった。

 いよいよ決勝である。決勝だけが行われるわけではなく 順位決定戦も行われる。特にブロックの三位、四位はそれ ぞれ別ブロックの四位と三位のチームと順位決定戦を戦わ ねばならない。その結果、四試合の成績で陥落の二チーム が決まるのである。最後まで気が抜けないのだ。その大切 な四試合めを前にして、脱水症状と過呼吸から意識朦朧と なり救急車で運ばれる選手が出た。C級に出ている高校の チームからだった。それほどに、この日の暑さは選手に負 担を強いていた。
 決勝戦の時間は夕方にもなり、暑さも日中に比べれば多 少しのぎやすくはなっていた。そのせいかTシャツを着替 えた敷島が、四股を踏んでウォームアップしている。体重 百キロを越える巨漢が四股を踏むとあまりに様になってし まう。
 「敷島、四試合めになって元気が出たようじゃないか。」
 「腹の具合が納まったので、さっき春日のおにぎりをも らって食ったんだ。腹が減ってたのも力が出ない原因だっ たかもしれない。次はがんばるぞ。」
 元気なやつが元気がないというのはなんとなく気になる ものなので、普段に戻るとホッとする。そういう点では、 いつも元気な山根志保がいまひとついつもどおりでない。 たしかに個人戦の時は、他人と話すことを極端にしないや つだが、団体戦ではそうでもなかったはずだ。ひょっとす ると三回戦の負けを後悔しているのかもしれない。山根が 勝っていれば、勝ち点三で問題なく決まっていたのだ。た とえ勝ち負けが入れ替わっていたとしても、山根が勝って いれば、主将の全勝でほぼ決まりだったはずだ。四将成績 で決まるなどということにはならずに済んだのだ。決勝進 出の結果は変わらないのだが、ちょっと自尊心が傷ついた のだろう。感情に大きく左右される選手は、調子に乗って いる時はいいが、一度崩れるとやっかいだ。特に団体戦で は仲間が苦労する。山根の性格はみんなが知っているので こういう時には誰も声をかけない。下手にかけて爆弾を落 とされたくないからだ。
 西寺は、淡々と席順を決める。
 一番は、山根。端で回りに迷惑をかけずに静かにと取っ てもらおうということだ。二番は、敷島。三番は、佐多。 西寺の読みでは、このどちらかに沢木が来るということだ った。西寺は自分が潰しにいくのを避けた。ひょっとする とひょっとした時のことを恐れたのだ。沢木の成長は、西 寺にそう思わせるほどのものだった。沢木で落として、西 寺で取る。ここで一勝一敗。現有勢力なら、残り二勝一敗 は充分高い確率だと考えたのだ。四番は、古賀。五番は、 西寺だった。
 「自分が山根から一番遠くで取れるように組んだな。」
 ミツオは、西寺の席決めの裏にある意図を感じていた。 対する早大の布陣は、一番立浪、二番成瀬、三番沢木、 四番一本、五番脇だった。ミツオは、沢木とあたるはめに なってしまった。さすがに四試合めは、全員が疲れていた のか、大味な試合が多かった。中盤にはいったところで、 西寺と古賀と敷島の大量リードが見えていた。そして、ミ ツオのビハインドもはっきりしていた。敷島は好調のよう だった。そして、山根対立浪は、シーソーゲームだった。
 「慶大、一勝。」
 西寺が、まず一勝をあげる。十八枚差だった。
 「慶大、二勝。」
 続いて古賀が勝ち名乗りをあげた。十五枚差。
 ミツオは、チームが三勝めを上げるまではなんとか粘り たかった。少なくなった敵陣の別れ札を攻める。沢木と対 戦していると、取れそうな札はそれくらいしかないように 思えてくるからだ。「出た!」「取れた」と思ったら、相手 がこちらの陣の別れ札を払っている。ダブだ。二枚送れる。 また、別れるように札を送る。
 沢木がお手つきをしている間、敷島は敵陣を攻めあぐん でいた。成瀬も粘っているのだ。山根の試合は、ややリー ドで進行している。こういう時に三勝めは自分があげるん だという気持ちが大切である。自分が負けても、誰かが三 勝めをあげてくれると思っていると、結局全滅などという こともあるのだ。
 「早大、一勝。」
 ついにミツオが力尽きた。九枚差だった。
 この時、敷島は、二枚対七枚。山根は、四枚対五枚だっ た。
 成瀬は守る。立浪は攻める。次の詠み十枚で敷島は一対 三、山根は二対二となっていた。三勝めはそう楽にあげら れるものではなかった。
 「ひとにしられでくるよしもがな…。やまがわに…。」
 「はいった。」
 成瀬のひとこと。敷島は抜かれていた。山根は守った。 持ち札は、山根は「ゆら」だ。ここでの送りが勝敗の別れ 目である。成瀬は、立浪の表情を見ながら、「ゆら」を送っ た。立浪は、左右に別けておいてあった札を右下段に固め た。成瀬も、それを真似た。敷島は、自分が攻めに行くサ インを送った。うなずく山根。
 「ながれもあへぬもみぢなりけり…。ゆらのとを…。」
 山根は、またしても敵陣を攻めた。山根が戻るより早く 敵陣「ゆら」に届く立浪の指先。山根は、二度までも仲間 のサインにうなずきながら、仲間の狙いと逆の攻めを敢行 した。そのあげく虎の子の自陣を抜かれてしまったのだ。
 「慶大、三勝。」
 ところが、敷島の歓喜の声があがった。彼は敵陣になど 出る素振りも見せずに自陣を守り抜いていたのだった。
 「よしっ。」
 「やった。」
 「XXXXX…。」
 声に出すもの、声にならない声でこぶしを握りしめるも の。喜ぶチームの面々。長いこと遠ざかっていた職域・学 生大会のA級優勝だった。
 締め括りとなった山根の運命戦。三度、山根は敵陣を抜 きにいった。詠みのタイミングをはかった絶妙の攻めだっ た。しかし、出札は非情にも山根陣だった。立浪の払いが 決まった。
 山根のこの頑固なまでの攻めは、一同に不可解な感じを 与えるのだった。本人に聞いたとしても、「出ると思ったか ら攻めただけよ。」という返事がかえるだけだということが 予想されるので誰も山根に聞こうとはしない。
 一方、慶大Bチームは、東大Bチームにあっさりと五敗 した。それでも四位でA級残留である。まずは、目標を上 回る成果といえよう。
 「あかねちゃん、席順の予想はほぼ完璧じゃない。ご苦 労さま。」
 「わたしも二勝二敗でほっとしてるの。最後は全敗だっ たけど四位は予想外の健闘よね。」
 「ひょっとするとブロック一位だったんだからな。東大 の作戦の失敗っていうのはあるにしても、あかねちゃんた ちはよくやったよ。ぼくたちの優勝はBチームと一緒に勝 ち取ったんだよ。」
 「ありがとう。ミツオくんありがとうね。」
 あかねは、目に涙をためてミツオの胸に顔をうずめた。 主将潰しの読みを的中させた西寺は御機嫌だった。
 「いやあ、我ながら見事に主将の番号をあてたよな。十 一勝九敗の優勝なんて効率がいいじゃないか。気持ちいい ね。決勝で敷島が調子戻してくれてよかったよ。」
 「あれだけ粘られちゃったんで、今一つだけど勝てて良 かったよ。」
 「敷島は、『ゆら』の時、攻めるってサインを志保に送っ ていたよな。」
 「ああ。でも、三回戦のミツオのサインを無視したの見 ていたからな。俺が攻めるって言えばあいつは攻めると思 ったのさ。だから、俺は守ったんだよ。」
 「あいつが言うこと聞いて守っていたら、お前が攻めに 行かなかったことで責められたんじゃないか。」
 「その時は、結果オーライじゃないか。攻めにいこうと したら、詠みが聞こえちまったって言ったっていいし。」
 「お前はお気楽だね。」
 「まあ、いいじゃないか。優勝したんだし。」
 「山根のことを気にするのはやめよう。今日はOBのお ごりでうまい酒が飲めそうだな。」
 「へへっ。嬉しいね。」
 ミツオたちが勝利を噛みしめている間に閉会式の準備は 整っていた。閉会式でメンバーは、賞状、優勝カップ、ト ロフィー、盾などを手渡され、拍手で祝福された。あの優 勝すればニコニコと満面の笑みをたたえそうな山根志保も、 主将として賞状を渡され、目に涙を浮かべていた。団体戦 の勝利は、「あたしはただの助っ人よ。あなたたちを勝たせ てあげるために出るのよ。」とうそぶいていた彼女にとって も、格別の喜びだったのだろう。
 BチームもAチームの優勝を自分たちの勝利として喜ん でいる。石田には前会長としての苦労が報われたという思 いがあったし、熊野には現会長としての責をはたせたとい う思いがあった。全敗の鈴木も「こんなに嬉しいなら、も う少しかるたの練習しようかしら。」と言っている。大会の 運営を手伝いに来ていたOB・OGたちの喜びもひとしお だった。

 この晩、彼らは三月の大会での連続優勝という新たな目 標を胸に抱き、勝利の美酒と優勝の喜びに浸って夜を明か したのだった。


  Copyright:Hitoshi Takano

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