筆者は、いわゆる「感じ」の遅いかるたである。その上「払い」も遅い。それでも、始 めた当初に比べれば、練習のおかげで少しはましになったと思う。始めた時から「感じ 」 が速く、向こうが札を全部覚えたとたんにまったく歯がたたなくなった友人がいた。彼 は、構えも自然体で座るとどこでも払え、「払い」のスピードも持っていた。少し練習 するとたちどころに上達する彼を羨望の眼差しで見ていたものだった。彼だけではなか っ た。後輩を含めた数多くの人が、私よりも速い「感じ」を持っていたのであった。
そんな中、私は練習の中でふと気がついた。「感じ」が速い人も、その感じを制御する 技術(タイミングの取り方・払いなど)を持っていなければ、「お手付」もするし、は やく出すぎて取る時にスピードダウンしてしまう。「感じ」の速さも、両刃の剣である 。 遅ければ遅いなりに、長い決まりに自然にタイミングがあうこともある。聞き別けを磨 き、「お手付」をしない堅実なかるたを目指せば良いのである。「感じ」の速い人は、 「感じの溜め」ができずに苦労する。ところが「感じ」の遅い人は、その「遅さ」のゆ えに自然に「溜め」と同じことができているのである。
このようにある人の長所も、すべてにおいて長所ではなく、短所になることもある。ま た、その逆もありうる。自分の短所を短所だからとあきらめずに長所に転化するべく工 夫していく。この努力が肝要なのではないだろうか。「速い」といっておごってはいけ ないし、「遅い」といって嘆いてはいけない。禍いを転じて福となそう。
私の友人にかつて「二十五枚あてれば名人にでも勝てる」と豪語した男がいた。たしか に決まりを聞く前に払ってあててしまったら、相手はなすすべもない。大山札(六字決 まり)を二字で払ってしまい、「しまった」と思うと同時に「出ろ!(あたれ)」と祈 るような気持ちで六字めが詠まれるのを待ったという経験を持っている方も多いのでは ないだろうか。そして、あたってしまうと禁じ手スレスレの技を使ってしまったような 自分と相手に対する後味の悪さを感じる反面、「ホッ」ともし「ラッキー」とも思う素 直な感情を持つのもまた自然なことだろう。これも、確率論的にはずれることが半分あ るわけで、このようなギャンブルに出ることは得策であるとはいえない。
しかし、「あてがるた」といっても、決まりの前に払ってあてることを必ずしも指すわ けではない。何となく次に出そうな札を感じて、その札を気にしていると詠まれて、素 速く取れてしまうことがある。偶然のことあるだろうし、永年にわたり蓄積された経験 から研ぎ澄まされた超感覚で感じる場合もあるだろう。この経験が快感なのである。あ まりの快感に癖になる。はては、この快感を味わいたいがために、本来自然に湧いてく る感覚を自分で無理に感じようとするあまり、狙うというよりも「あて」に走ることに なる。これがたまたま「あたって」しまうと危ない。味をしめ真面目に暗記をいれて堅 実にかるたを取るのが馬鹿らしくなってしまう。まるで「待ちぼうけ」の世界である。 この快感が忘れられずに、快感を得るために何度も「あて」を繰り返すという「あてが るた」中毒患者の出来上がりである。「あて」がはずれ続けると禁断症状が出始め、し まいには最初から最後まで全て「あて」に走り、偶然のたった一枚の「あたり」の快感 で満足するようになる。そういう人は、廃人(廃かるた人)にならぬよう、一刻も早い 「禁あて」が必要である。超感覚とかなんとか言っても、確率論的に言えばそれは偶然 の産物にすぎない。現実を見据え中毒症状の治療に専念しよう。一日も早い社会復帰( か るた社会復帰)を目指していただきたい。
終盤になり、差が大きくついてしまう。負けている側にしてみれば、つらい状況である 。 こんな時、最後まで自分のスタイルの「かるた」で押し通せばいいものを、そこは弱い 人間のやること、何か策を講じたくなるものである。そこで試合などでよく見かけるタ イプを紹介しよう。一つは一部で「ヤマネコ」と呼ばれるスタイルである。右利きなら ば、右下段に札を固める。残り枚数が多ければ、右中段も利用し長方形に並べる。もっ と多ければ右上段も利用し、正方形に近い形を取る。左は置かない人もいるが、言い訳 程度に一〜二枚を下段に置く人が多い。こうして、一音とともに相手のこちらの右側へ の攻め手の軌道上に低く手を出し、押え手をベースにガッチリと守る。押さえたまま払 い出してしまえば、万一直接触れることができない札も札押しで取ることができる。相 手は札の多い右を攻めてくるから、自陣の左が出ても結構守ることができる。こちらに 守られ、相手が余計にムキになって攻めてくると、こちらから見て敵陣の守りがおろそ かになるので、敵陣を取ることもできる。さらに相手がムキになればなるほど他力本願 的ではあるが、相手のお手付も期待できる。この守りのスタイルを取ると、構えが山猫 が獲物を狙う時の姿に似るところから「ヤマネコ」と名付けられたのではないだろうか 。
二つめは、一部で「伝統芸能」と呼ばれるスタイルである。「百人一首故事物語」(池 田弥三郎著)によると、かるた遊びにはその季節限定性のゆえに芸能の要素が感じられ るそうであるが、その「芸能」とは関係はない。札の多くを上段全域に上げて守るとい うタイプである。このスタイルもわりと多く見かける。このスタイルを採用している人 達に聞くと自分達の先輩たちがやっているのを見て始めたという人が多いところから、 受け継がれている「伝統芸能」といつしか呼ばれるようになったものらしい。上段の札 は一枚ずつ間隔をおいて配置する。そのため札押しではなく、出札から取りにいかねば ならない。さまざまな決まりの札を置き、相手のお手付をも誘う。半音で手を出して相 手を惑わしたりという手段を取る人もいる。基本的には、札の位置をも含めた正確な暗 記と鋭い突きの技術を要求される。また、たとえ、相手の払いがはやく上段に達しても 、 あきらめずに出札に向かう札への執着心も大切である。上段で札が間隔をもって置かれ ているので相手は隣の札しか触れていないことがあるからである。時として、上段の出 札から五〜六枚離れたところからでもお構いなしに、バサッと札押しで払ってくるデリ カシーのない相手がいるが、そんなことでめげてはいけない。最後まで自分の感覚で出 札に直接向かっていくことが肝腎である。これも先程の「ヤマネコ」同様、相手がムキ になってくれたらシメタものである。一度試して成功すると、あなたも「伝統芸能保存 協会」の仲間入りである。あなたがそうして取っているのを見て、真似をする人が出て くるかもしれないからである。
以上のような方法を紹介したが、物真似は厳禁である。まずは、大差で負けていても自 分自身のかるたを取り切ることがもっとも大切なことであるからだ。自分のかるたを取 り切っていく中で、大差の時に自分に取りやすい形が自然にできあがってくれば、それ でよいのである。無理に真似をすることはない。しかしながら、いつの日かあなた自身 のかるたが知らず知らずのうちに他の人から「伝統芸能」などと呼ばれていることがあ るかもしれない。