式子内親王

玉の緒よ絶えなば絶えねながらえば
   忍ぶることの弱りもぞする


 作者の式子内親王は、幼い時に賀茂の斎院をつとめられていた。後には藤原俊成を 歌の師とし、歌を学ぶようになる。百人一首の撰者である定家は、父俊成のこの縁 で式子内親王と知り合う機会を得る。内親王は、定家より8歳から9歳の年上であ ったが、定家にとって憧れの女性であったと伝えられている。
 だからこそ、定家は内親王のこの恋の歌を百人一首に選んだのではないだろうか。
 「定家」というタイトルの「能」がある。旅僧が雨宿りしていると「ここは、時雨 亭、藤原定家卿の縁の旧跡です。」と告げる女性が現れる。この女性が、近くのあ る墓に旅僧を案内する。この墓の石塔は蔦葛で覆われていた。この墓こそ式子内親 王の墓であり、この蔦葛こそ、定家の内親王への妄執であった。旅僧は、供養を頼 まれる。旅僧を案内した女性は実は式子内親王の亡霊だったのだ。僧侶は経を唱え定家 の執念を取り除きはするが、亡霊は再び定家の想いに取り付かれながら、石塔の中 に消えていくのであった。
 能の完成者と言われる世阿弥は、百人一首に秘められた奥義の継承者であったとい う人もいる。はたして、能の「定家」はその謎に対するヒントを秘めているのであ ろうか。
 さて、百人一首には「忍ぶれど」という上の句の歌がある。上の句を詠んで下の句 を取る競技かるたでは、時として「忍ぶれど」が詠まれて「玉の緒よ」の札(忍ぶ ることの…)を取ってしまうことがある。下の句の文字がふと目に入ってしまい、 耳に入ってくる音に自然に反応してしまうせいであろう。このパターンを経験した ことのある競技者は結構いるようである。私の場合、他にもある。
 (例1)上の句…あはれともいふべきひとはおもほえで
     下の句…あはれことしのあきもいぬめり(ちぎりおきし)
 (例2)上の句…よをこめてとりのそらねははかるとも
     下の句…よをおもふゆゑにものおもふみは(ひともおし)
 この他にも経験をもつ人がきっといることだろう。このようなミスをすると実に恥 ずかしい思いをする。しかし、こうした経験をして、二度と失敗しないようにしよ うという気持ちが、試合に対する集中力を増していくのである。

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