パレルモ(シチリア島)

 シチリア島は、長年行ってみたいところとしてかなり優先順位が高いところでした。理由はいろいろあったのですが、まじめなものとしては、イタリアでありながら歴史的にアラブ世界の強い影響を受けてきており、どのような文化が熟成されてきたのか興味がありました。ミーハーな興味としては、言わずとしれたゴッドファーザーの出身地です。さらに、特にパレルモに関しては、荒俣弘氏などが紹介して有名になったカタコンベのロザリアを見てみたいとも思っていました。年末年始の休暇に5日間だけですが、パレルモを訪れたので紹介します。

 パレルモには飛行機で入りましたが、パレルモの空港は街から西に30kmぐらい離れたところにあり、街の中心部までは小1時間かかります。もっとも、そのうちの半分は街の中心部の渋滞です。パレルモの街は、海沿いの旧市街地と内陸側の新市街地の大きく2つの地域によって構成されます。観光の要所はほぼ旧市街地にあります。新市街地は、高級ブティックなどが建ち並ぶショッピング街となっています。

 左の写真は、まずパレルモの「へそ」と言われるそうですが、旧市街地の中心に位置するクワトロ・カンティです。基本的には、ただの交差点なのですが、その4つの建物の角が左のようになっていて、大変美しく驚くばかりです。今回の滞在期間中は冬であるにもかかわらず、毎日快晴だったので、少しコントラストがきつすぎますが、4面このような壁面に囲まれています。パレルモに多くの富がかつて集まっていたことを想像させます。しかし、この交差点自体は、バスも頻繁に走る主要道路同士の交差点なのですが、道幅も今となっては狭く、交通量も非常に多く、さらに歩道は大変狭くて、何ともせわしなく、かつ危なっかしい交差点でした。もっとも、イタリアの古い町にまともな歩道があることを期待するのが無理とも言えますし、あったらたいてい車がその上に止まっています。

 パレルモ観光のハイライトとも言われるのが、ノルマン王宮内にあるパラティーナ礼拝堂です。などと言いながら、私はよく知らずに行ったのですが、ノルマン王朝時代に建築されたものだそうで、礼拝堂の内部はほぼ金を使ったモザイクで覆い尽くされています。金箔のモザイク画としては、以前訪れたイスタンブールのアヤソフィア教会で見たことがありますが、ここは礼拝堂の規模は小さいもののその内部ほとんどが金のモザイクで覆い尽くされるというもので、圧巻です。その美しさにはしばし言葉を失います。ちなみに、入場料は、5ユーロ(7百円ぐらい)でした。
 これは、上記のパラティーナ礼拝堂があるノルマン王宮です。王宮自体も予約をすれば見学できるそうです。王宮の建物は取り立ててぱっとしたものではありません。さらに、どこに礼拝堂があるのか案内もあまりなく、ぐるぐる歩くはめになるし。この建物の中にあんな礼拝堂があるとは想像もつきませんでした。
 ノルマン王宮の横にあるヌオーヴァ門です。アラブ風のスタイルだそうです。ここが旧市街地の南のはずれになります。外側には南の郊外に出るバスターミナルがあります。パレルモは旧市街地にしても新市街地にしても、基本的には碁盤の目状に造られているので、歩くにはわかりやすい街です。かつ全く平らなので、起伏のおもしろみはありませんが、迷子にならないという点では便利です。しかし、旧市街地の小道に入るとまるで迷路のようです。夜は真っ暗なので、歩くには少し勇気がいりそうです。
 こちらは、クワトロ・カンティに近い、マルトラーナ教会です。パラティーナ礼拝堂には及ばないもののここのモザイクの装飾も驚くべきものがあります。こんなものがあちこちにあるのが怖いぐらいです。外観はどうと言うことのない教会なのですが。
 マルトラーナ教会の隣にあるサン・カタルド教会です。上の3つの丸いドームで有名だそうです。アラブ様式の建築だそうで、それがそのまま教会に使われているそうです。時間がなくて中には入れませんでした。
 ヌオーヴァ門と反対側に抜けると海に面したこの門があります。いずれにしても規模の大きさに圧倒されます。それだけ富が集中していたのだろうと想像できます。
 旧市街地の中では、このアバテリッス宮殿の中にある美術館が穴場です。あまり有名な作品はありませんが、教会の中の板に描かれた宗教画が多く、教会では近くで見られないようなものが近づいてみられます。また、作者不詳ですが、死に神がありとあらゆる人に矢を放っている絵は、壁画だったそうでかなりの大作です。
 新市街地で大きな存在感を示しているのが、マッシモ劇場です。最近修復が終わったばかりだそうで、巨大なだけではなく、大変美しい劇場でした。もちろん、オペラなどが上演されているそうです。
 新市街地の中心を貫くリベルタ通りは、道幅も広く、街路樹で緑化されたメインストリートです。通りの両側には、エルメス、グッチといった高級ブティックが建ち並びます。南イタリアというよりは、北イタリアの街のようです。しかし、ちょっとお買い物というには敷居が高すぎるようです。
 一方で、こちらは旧市街地の細い路地に沿って開かれる庶民的な市場です。観光客もたくさん訪れるようですが、売っているものは野菜や肉、魚などで、地元で生活する人々のための市場です。ここで買ったオリーブや安くて絶品でした。
 子供に連れられてなぜか毎日訪れることになった海です。この護岸の裏はヨットハーバーです。地中海というとすてきなイメージですが、海はお世辞にもきれいとは言えませんでした。犬のものかと思われるフンまでぷかぷか浮いていて。いつ来ても、釣り人がいましたが、何か釣れている人はいませんでした。釣りをしながらずっと携帯電話で話をしているパレルモの人っていったい・・・。
 私たちが訪れている間に、最近は日本でも有名なサルディ(冬のセール)が始まりました。最近では、サルディに行く日本からのツアーもあるそうで、ニュースの画像には日本人と思われる人がたくさん写っていました。ただし、北イタリアだと思いますが。左は、サルディ前日のお店です。明日からセールなので、ステッカーは貼ったものの、白い紙を上に貼ってすぐに剥がせるようにしていました。
 最後は、食事です。イタリアと言えば、食の天国なのですが、私はイタリアであまりよいレストランに出会えた経験がないのです。他の国ではたいてい掘り出し物のような店を見つけられるのに、イタリアでは今までなんかいもチャレンジしながら全然です。昔ドイツ人の友人には、一人8千円ぐらいするところに入らなければダメだと言われましたが、そんなリッチではないし。左は、上の市場の近くの庶民的に見えたレストランに入ったときの前菜と黒鯛の料理です。前菜は絶品でした。黒鯛もまあまあ。しかしパスタはいまいちでした。ここでは、子供の分は頼まず二人分だけで、あとはサラダとハウスワイン、コーヒーだけだったのですが、70ユーロも請求されたまげました。だってお皿はバラバラで欠けているし、フォークはふにゃふにゃで曲がっているし。またしてもがっくり。
 左は、駅前のバールで食べたトマトクリームソースのペンネです。バールの作り置き料理で、3ポンドぐらいでしたが、これは絶品でした。レストランであまりおいしいものにありつけないのに情けない限りです。ここのラザニアもおいしかったです。ホテルの裏のバールでも、トマトソースのパスタを食べましたが、おっちゃんが面倒くさそうに作ってくれたパスタも、ソースが驚きのおいしさでした。
 パレルモでは、レストランを探すのに本当に苦労しました。観光地の割にはレストランが少なく、なおかつ覗いてみても全然客が入っていません。地元の人でにぎわっているレストランを試すという常套手段も通じず、ずいぶん歩き回りましたが成果なしでした。最後の夜は、穴場をまだ探したい私と、勘定が来てびっくりを避けるためにも、左のようなツーリスト向けぐらいにしておきたいという家内と意見が食い違いました。イタリアでは、サービス料の他に座席料もあるので、必ずしも食べた分だけの値段ではないのです。結局は、私が妥協して左の看板のレストランへ。
 そのツーリスト向けのレストランは、結論から言うと悔しいことにまずまずでした。最初が前菜に次が二種類のパスタです。前菜もパスタもおいしかったです。12ユーロのセットで、ワイン1杯、前菜、パスタ、メインとサラダが付いてきました。それぞれ分量はそれほど多くない上に、結局選べないので、地元の人には不満でしょうが、私たちの胃袋には十分でした。18ユーロになるとメインが魚で、コーヒーとデザートが付くのだったと思います。8ユーロはランチだけとのことでした。いずれにしても、イタリア料理のレストランとしては破格です。座席料もサービス料も取られませんでした。中は時間が遅くなるに連れて混んできて、外国人と思われる旅行者とイタリア人の旅行者が半々ぐらいだったようです。でも、イタリアの料理はまたいつかチャレンジという決意を新たにしました。
 食事のあとに何ですが、画像はありませんが、最後にカタコンベについて書き忘れていることに気が付きました。カタコンベとは、教会の地下などにたいていある遺体安置所のようなところです。どこの教会でも、たいてい地下にはお墓があって、その教会の司祭など偉い人が安置されています。さらには、聖遺物として腕の骨などが見られるところもあります。ローマのカタコンベでは、地下に積み上げた骨の壁や山を見ることができるところがあります。日本人にとっては、死んだ人の骨などを見せるあるいはそれを見るというのは奇異に感じますが、キリスト教では死者を見て自らが死について考えるという考え方があります。ヨーロッパの絵画に良く机の上の骸骨が出てくるのをご存じの方も多いと思います。ラテン語で、メメントモリと言われますが、「死を思え」ということだそうです。

 前置きが長くなりましたが、パレルモのカタコンベには、19世紀を中心に一般人を含めてかなりの人の遺体が安置されています。ローマのものとは違って、一人一人洋服を着せられて、横たわっている人もいれば、壁に立てかけられているような人もいて、それがカタコンベの壁を埋め尽くしています。また、白骨化しているものも多いのですが、かなりの遺体は処理をしてから並べられたそうで、要はほとんどがミイラです。その中を延々と歩くことになります。手が届く範囲は、網がはめられていたずらがされないようになっていますが、目の前にミイラを見ることができ、さらに通路によっては、こちらに倒れかかっているようなミイラの下を歩くような感じになり、やはり気味が悪いです。そして、このカタコンベで圧巻なのが、ロザリアという2歳の少女のミイラです。当時の将軍の愛娘だったそうですが、娘を失った悲しみのために、娘をこのまま保存したいと思ったそうで、当時の医師が持つ特殊な技術で今でも生きているかのようにふくよかなまま保存されています。その医師は、その後保存方法をあかさずに死んでしまったので、未だに謎であるとされているそうです。私が以前荒俣弘氏が紹介していた本で見たときに比べれば、柵があって近くから見られなかったのですが、肌の色は黒っぽくなっているものの確かにふくよかな少女のままでした。しかし、80年間そのままでいるということには何とも胸が痛む気がしました。同じような年頃の子供を持っていると、その親の気持ちもわかるし。物珍しさから訪ねても、自ずと死について考えざる得ないカタコンベでした。