シチリア島は、長年行ってみたいところとしてかなり優先順位が高いところでした。理由はいろいろあったのですが、まじめなものとしては、イタリアでありながら歴史的にアラブ世界の強い影響を受けてきており、どのような文化が熟成されてきたのか興味がありました。ミーハーな興味としては、言わずとしれたゴッドファーザーの出身地です。さらに、特にパレルモに関しては、荒俣弘氏などが紹介して有名になったカタコンベのロザリアを見てみたいとも思っていました。年末年始の休暇に5日間だけですが、パレルモを訪れたので紹介します。
左の写真は、まずパレルモの「へそ」と言われるそうですが、旧市街地の中心に位置するクワトロ・カンティです。基本的には、ただの交差点なのですが、その4つの建物の角が左のようになっていて、大変美しく驚くばかりです。今回の滞在期間中は冬であるにもかかわらず、毎日快晴だったので、少しコントラストがきつすぎますが、4面このような壁面に囲まれています。パレルモに多くの富がかつて集まっていたことを想像させます。しかし、この交差点自体は、バスも頻繁に走る主要道路同士の交差点なのですが、道幅も今となっては狭く、交通量も非常に多く、さらに歩道は大変狭くて、何ともせわしなく、かつ危なっかしい交差点でした。もっとも、イタリアの古い町にまともな歩道があることを期待するのが無理とも言えますし、あったらたいてい車がその上に止まっています。
前置きが長くなりましたが、パレルモのカタコンベには、19世紀を中心に一般人を含めてかなりの人の遺体が安置されています。ローマのものとは違って、一人一人洋服を着せられて、横たわっている人もいれば、壁に立てかけられているような人もいて、それがカタコンベの壁を埋め尽くしています。また、白骨化しているものも多いのですが、かなりの遺体は処理をしてから並べられたそうで、要はほとんどがミイラです。その中を延々と歩くことになります。手が届く範囲は、網がはめられていたずらがされないようになっていますが、目の前にミイラを見ることができ、さらに通路によっては、こちらに倒れかかっているようなミイラの下を歩くような感じになり、やはり気味が悪いです。そして、このカタコンベで圧巻なのが、ロザリアという2歳の少女のミイラです。当時の将軍の愛娘だったそうですが、娘を失った悲しみのために、娘をこのまま保存したいと思ったそうで、当時の医師が持つ特殊な技術で今でも生きているかのようにふくよかなまま保存されています。その医師は、その後保存方法をあかさずに死んでしまったので、未だに謎であるとされているそうです。私が以前荒俣弘氏が紹介していた本で見たときに比べれば、柵があって近くから見られなかったのですが、肌の色は黒っぽくなっているものの確かにふくよかな少女のままでした。しかし、80年間そのままでいるということには何とも胸が痛む気がしました。同じような年頃の子供を持っていると、その親の気持ちもわかるし。物珍しさから訪ねても、自ずと死について考えざる得ないカタコンベでした。