チェスター (Chester)

 チェスターは、グレートブリテン島のほぼ中央部、イングランドの北西部に位置します。マンチェスター、リバプールに近く、どちらからも車で1時間程度です。中世に栄えたチェスターは、当時はヨークと並び北イングランドで最も大きな都市の一つだったそうです。そのような歴史的背景もあり、工業都市が多いイングランド北部にあって、数少なく中世の町並みが残る美しい街です。

 チェスターは、都市の城壁がほぼ完全な形で残っていることで有名です。少し見にくいのですが、左の写真の地図では、城壁に囲まれている都市の様子がわかります。この城壁の上を1周することができ、小一時間で歩くことができます。チェスターには何度も訪れたのですが、ここに紹介する画像は、2004年12月中旬に、兵庫県立人と自然の博物館の宮崎先生と客野先生と一緒に行ったときのものです。
 チェスター観光の目玉の一つが、この大聖堂です。あまりに大きいので、全体像をうまく写すことができません。イングランド北部では、ヨークの大聖堂につぐ規模です。2004年の夏頃に訪れた際には、無料で入場できたのですが、秋頃から有料になったようです。確か、3ポンドぐらいかかったと思います。
 巨大なバラ窓のステンドグラスも有名です。私は今回は中に入らなかったのですが、この時期には珍しく快晴で、ちょうど直射日光が当たっていたので、中から見ると大変美しかったようです。しかし、イギリスの教会にすべて共通することですが、ヘンリー8世によって、英国国教会が設立されてから、カトリックに多く見られる聖人崇拝が禁止されたので、教会の外にも中にも聖人の彫像などはほとんど見られず、やけにさっぱりしています。
 チェスター観光のもう一つの目玉が、城壁内の旧市街地に見られる木組みの建物の街並みです。黒い木の枠が特徴的な建物がいくつも見られます。ドイツなどでよく見られるものと同様です。イギリスでも元々はこのような木組みの建物がほとんどだったようですが、産業革命以降煉瓦造りの建物が街を席捲し、今となってはほとんどの建物が煉瓦造りです。日本の街並みに比べるとそれはそれで統一が取れているのですが、どうも工場のようで私は好きになれません。その分、チェスターの街並みにはホットします。
 木組みの家というと、日本の木造建築と同じような気がしますが、建築の視点からは、全く違う仕組みで成り立っているそうで、日本の木造建築が柱によって支えられているのにたいして、ヨーロッパの木組みの家は、壁で屋根が支えられています。よって、外に見えている木組みの間には石などが詰められているそうで、ここでは煉瓦で埋められている様子が、わかるようになっていました。これは意図的にこうしているようですが、宮崎先生の話ですと、フランスのストラースブールにも同じような建物があったそうです。(行ったことがありますが、気がつきませんでした。)
 旧市街地の木組みの建物が連なる部分は、チェスターの目抜き通りになっています。さらに、この街がおもしろいのは、これらの建物の2階部分に通路があって、ここにも店舗が連なっていることです。ちょっと見にくいのですが、左の画像でも店舗が2層になっているのがわかるかと思います。さらに、ブロックの内側に向かって小さな路地があったりと、迷路のような立体的な街で、そぞろ歩きが大変楽しいところです。チェスターは宝飾品を扱う店舗が集まっているようで、店のショーウィンドウも美しく、絵になります。
 左の画像の真ん中に見られるように、突如中に入っていくような通路があります。この通路を入っていくと、また両側に店舗が並んでいます。この通路は大聖堂の横に出るのですが、思いもかけないところにつながっていたりします。また、ブロックの中に規模の大きなデパートがあったりとびっくりの連続です。
 城壁の門の一つの上部にある時計です。これはチェスターの街のシンボルです。城壁の上を歩いていると、この時計の下を歩くようになります。
 チェスターの旧市街地は、川と運河によっても囲われています。この川は、城壁の南側を流れるディー川です。水辺があることも、街の魅力を高めているのだと思います。
 城壁の上の通路は、だいたいこんな感じです。城門を除いて、あまりアップダウンはありません。城壁の通路に玄関が面している家もありました。また、入り口が通路から入るようになっている店舗までありました。
 旧市街地の西側にある競馬場です。旧市街地の東側には駅や市街地があり、密集しているのとは対照的に、西側には大きなオープンスペースがありました。
 城壁の北西の端を鉄道がかすめています。それでも城壁は残されているのですが、左は鉄道の上を高架になった城壁です。城壁の機能という意味では、高架になった城壁というのも変な感じですが、この城壁の上の通路は、今となっては重要な観光資源であるばかりでなく、市民にとっても重要な散策路のようでした。